Wikipedia‐ノート:ウィキケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これはかなり前(2003年春から秋)に訳出されたもののようで、内容はおおむね妥当だと思うのですが、今のenのバージョンにくらべると、だいぶごたごたした印象があります。また現行のenのバージョンに比べるとかなり抽象論に傾いているという気がします。一度内容の見直しを行ったほうがよいのではないかと思います。いかがでしょうか。--Aphaea* 2005年1月26日 (水) 19:27 (UTC)
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[編集] ウィキケット
英語版の発音では、「ウィキケット」となっています。--一般人 2006年5月7日 (日) 09:19 (UTC)
[編集] 語調について
どこに書かれているのか分からないので、とりあえずここに当るのではと思うので書き込ませてもらいます。 最近言葉遣いの荒い人が目立つような感じを受けています(中には一部のコミュニティーで見られる表記(藁など)を用いるものも見受けられました)。ノートページだからと言ってもあくまで面識のない方々との会話であるということを意識し、基本的に敬語でのやり取りを基本として書き込むべきだと思い、方針として提唱しようと思うのですが。 -- Galaksiafervojo 2006年6月10日 (土) 01:00 (UTC)
- Wikipedia:丁寧という和訳の草案が存在しています。その中に、日本語特有の「言葉遣い」に関する記述が追加されるのも良いかもしれませんね。--一般人 2006年9月17日 (日) 00:33 (UTC)
[編集] 方針?ガイドライン?
こんにちは。この文書にはPolicyのテンプレートが貼られていますが、文書の導入部には「提案とガイドラインがあります」と書かれています。内容から行くと、「考慮すべきガイドライン」のほうが適切のように思われるのですが、どうでしょうか?
このような話をしだしたのは、実はWikipedia:丁寧の公式方針化を目指そうと勝手に行動しだしたのですが、「丁寧」と「エチケット」には重なる点が多く、両方公式の方針とするのは利用者を混乱させそうなことにいまさらながら気づいたためです。もちろん、なんでも英語版どおりにすればよいとは思っていないのですが、英語版の「丁寧」「善意にとる」などが方針で「エチケット」がそれらの方針を実行するためのガイドラインという位置づけは、経験を踏まえた妥当な構成になっている気がします。みなさまはどのようにおもわれるでしょうか。それと、この文書が「公式の方針」となった経緯は見たところ不明なのですが、ご存知の方にお教えいただければ幸いです。--Aotake 2006年11月29日 (水) 14:25 (UTC)
[編集] ウィキケットの追加草案。
以下本文より転記
- 自分の専門外の分野や事柄については積極的に参加する事を避けてください。このルールはウィキペディアンの効率性を高めるためのものです。2人以上の知識人がお互いの知識を交換し、議論を重ねていけばより良い記事が出来上がっていくでしょう。しかしそこに程度の低い人間がいれば、知識のある人はその人が納得いくように知識を細かく説明しなければならず、無駄な労力と時間を使う事になります。場合によってはウィキペディアに対するやる気を失う事になりかねません。それはウィキペディアにも閲覧者にも望ましいものではありません。(もちろん専門外の人達にも分かるように書いてほしいと望む事は可能でしょう。)
(↓ついでなので追加します。--Naisi 2006年12月9日 (土) 19:02 (UTC))
- 自分の価値観のみで除去や削除する事は極力避けてください。
個人の価値観のみである記事に対して除去や削除をする事は他の記事や方針との間に矛盾を発生させる原因を生み、色々な場所で無駄な闘争を起こす要因となります。それは本来より良い記事を執筆するはずであったエネルギーを浪費する事になり、さらに執筆者のやる気を失わせるでしょう。それはあまりに非効率的です。ですので除去や削除を行う際には、まず広い視野を持ちましょう。世界は広いのです。常識という固定概念は通用しません。執筆する際には『これを排除する事は正しい事なのか?』と自問してから慎重に行う事が望ましいでしょう。
転記ここまで--hashikure 2006年12月9日 (土) 18:10 (UTC)
意見はこちらにください。--Naisi 2006年12月9日 (土) 17:30 (UTC)
- policyを合意なく書き換えるのは好ましくないため、一度ノートに退避させました。このような場合にはノートに提案するか、サブページを作るなどしてください。--hashikure 2006年12月9日 (土) 18:10 (UTC)
- こういう「するな」的なものは、およそWikipedia的なものと対極にある思想のように思いますが……。これを導入することで何をなさりたいのでしょうか。また既存のガイドライン「大胆に」等との整合性はどのようにお考えになっていますか。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 18:28 (UTC)
- 『積極的に』に関して謙虚になって自主規制しましょうという事ですので他の方針とは矛盾しません。大丈夫です。小学生から専門家まで参加できるウィキペディアで、何も知らない分野に関して水をさす行為というのは人としてどうかな、っていう事です。何をしたいのかと言われれば大胆に編集してほしいと言えばいいのでしょうか。削除依頼などを見ているとある程度知識があれば発展性がある事がわかる物がほぼ多数決で削除されています。しかも短期間で。(さらに多数決に参加した人達の大半はその分野に関して興味があまりないような感じです。)それで削除された方はやる気を失い、新たな挑戦をしようとしなくなっている気がします。頭を押させつけている感じがしてウィキペディアの成長を押えつけていると思います。(さらに画像についても他国と比べて厳しいですし。)もちろんそうした行為はハードウェアに関して貢献はしているのでしょうが、分野の偏りの原因のひとつにもなっている気がします。あと、知識のある人(使える時間に限りがあるでしょうから)には記事を成長させる事に集中して欲しいという気持ちもあります。そんな感じです。--Naisi 2006年12月9日 (土) 19:02 (UTC)
- コミュニティの合意が得られない「私案」だと思います。一つ目の事項については、一般的に「専門」というのは、そのことに関する技術・知識についての専門教育を受けている、あるいはそれに相当するだけの研究経験があり、そのことがその専門分野で認められているということです。そして検証可能性の方針と整合性を取るためには、その執筆者がその事柄についての専門家であることを、根拠を以て証明しなければならないでしょう。つまり、Naisiさんのこの提案を方針化すると、Naisiさんは利用者ページへの自己紹介ですらご専門を明らかにしていませんから、ウィキペディアのあらゆる記事に積極的に関わってはいけないことになります。それでよろしいのでしょうか?あと、二つ目については、言い回しを調整すれば盛り込めなくもないとは思いますが、今のウィキケットに書かれている内容で十分主旨はカバーできていると思います。--Aotake 2006年12月10日 (日) 03:25 (UTC)
- 昨晩もやもやしていたのですが、他に対して「程度の低い」等いうことは、参加へのモティベーションを下げますし、またそもそも礼儀にかなった言葉とは思えません。全体に提案ふたつは排除の論理に基づいているように思います。一方、この文書はコミュニティへの参加のモティベーションを維持するためにある文書群のひとつで、なので違和感を感じるのだと思います。ウィキの文化の根底、オープンプロジェクトの文化の根底にあるのは、参加すること、そのとき他者の尊厳と意欲と、つまり人格性を損なわずに、自ら積極的に飛び込んでいくことで、どうもNaisiさんは「他を損なわない」ことを呼びかけるために、呼びかけの相手に対して攻撃的になっていることにはあまり自覚的でないのではないかと思います。また専門性のことについていえば、わたしもAotakeさんに同感です。--Aphaia 2006年12月10日 (日) 05:58 (UTC)
- なんとなく納得しました。ちょっと構成の見直しを考えますので少しばかり時間をください。投稿した時はまたご意見ください。--Naisi 2006年12月10日 (日) 12:57 (UTC)
- 昨晩もやもやしていたのですが、他に対して「程度の低い」等いうことは、参加へのモティベーションを下げますし、またそもそも礼儀にかなった言葉とは思えません。全体に提案ふたつは排除の論理に基づいているように思います。一方、この文書はコミュニティへの参加のモティベーションを維持するためにある文書群のひとつで、なので違和感を感じるのだと思います。ウィキの文化の根底、オープンプロジェクトの文化の根底にあるのは、参加すること、そのとき他者の尊厳と意欲と、つまり人格性を損なわずに、自ら積極的に飛び込んでいくことで、どうもNaisiさんは「他を損なわない」ことを呼びかけるために、呼びかけの相手に対して攻撃的になっていることにはあまり自覚的でないのではないかと思います。また専門性のことについていえば、わたしもAotakeさんに同感です。--Aphaia 2006年12月10日 (日) 05:58 (UTC)
- コミュニティの合意が得られない「私案」だと思います。一つ目の事項については、一般的に「専門」というのは、そのことに関する技術・知識についての専門教育を受けている、あるいはそれに相当するだけの研究経験があり、そのことがその専門分野で認められているということです。そして検証可能性の方針と整合性を取るためには、その執筆者がその事柄についての専門家であることを、根拠を以て証明しなければならないでしょう。つまり、Naisiさんのこの提案を方針化すると、Naisiさんは利用者ページへの自己紹介ですらご専門を明らかにしていませんから、ウィキペディアのあらゆる記事に積極的に関わってはいけないことになります。それでよろしいのでしょうか?あと、二つ目については、言い回しを調整すれば盛り込めなくもないとは思いますが、今のウィキケットに書かれている内容で十分主旨はカバーできていると思います。--Aotake 2006年12月10日 (日) 03:25 (UTC)
- 『積極的に』に関して謙虚になって自主規制しましょうという事ですので他の方針とは矛盾しません。大丈夫です。小学生から専門家まで参加できるウィキペディアで、何も知らない分野に関して水をさす行為というのは人としてどうかな、っていう事です。何をしたいのかと言われれば大胆に編集してほしいと言えばいいのでしょうか。削除依頼などを見ているとある程度知識があれば発展性がある事がわかる物がほぼ多数決で削除されています。しかも短期間で。(さらに多数決に参加した人達の大半はその分野に関して興味があまりないような感じです。)それで削除された方はやる気を失い、新たな挑戦をしようとしなくなっている気がします。頭を押させつけている感じがしてウィキペディアの成長を押えつけていると思います。(さらに画像についても他国と比べて厳しいですし。)もちろんそうした行為はハードウェアに関して貢献はしているのでしょうが、分野の偏りの原因のひとつにもなっている気がします。あと、知識のある人(使える時間に限りがあるでしょうから)には記事を成長させる事に集中して欲しいという気持ちもあります。そんな感じです。--Naisi 2006年12月9日 (土) 19:02 (UTC)
- こういう「するな」的なものは、およそWikipedia的なものと対極にある思想のように思いますが……。これを導入することで何をなさりたいのでしょうか。また既存のガイドライン「大胆に」等との整合性はどのようにお考えになっていますか。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 18:28 (UTC)
- (反対)専門家の立場から反対します。私が化学の記事を書くときには、自分よりも経験が浅い、訓練中のかたがた、専門家を目指しているかたがたを標的としているつもりです。そのようなかたがたのご意見を排除しかねない方針は記事の質を向上させる目的からは本末転倒と考えます。Naisiさんには「頭が固い」と評価されてしまった私どもですが、ご考慮に入れていただければ幸いです。--スのG 2006年12月10日 (日) 13:04 (UTC)
- (反対)2番目の「自分の価値観のみで除去や削除する事は極力避けてください」は、管理者による独断の削除などで、その他の参加者が内容を復活させることができない場合は別として、一般の参加者が行う削除は、ある人が”この内容は必要だ”という価値観の表明として記事を追加したのと同様に、”この内容は不要だ”という価値観の表明であって、一方のみを排除する方針は不適。価値観が衝突することはwikipediaの本質としてあると考えられ、衝突した場合の昇華方法を検討すべき。
- 1番目の「自分の専門外の分野や事柄については積極的に参加する事を避けてください」はもっと反対。素人は謙虚にあるべきだが、排除すべきでない。有識者が素人にも理解できるようにするために労力を使うことは全く無駄な労力ではなく、逆に専門外の人にも理解できる百科事典を作り上げていくことにこのwikipediaプロジェクトの意味があると考える。Fuji 3 2006年12月10日 (日) 14:00 (UTC)
[編集] ウィキケットの追加草案2。
以前書いたものは意図したものと反応が思っていた以上に異なっていたためやり直し策を書いて見ました。ぱっとみた印象を教えてください。--Naisi 2006年12月13日 (水) 15:47 (UTC)
- 貴方の興味のない記事や内容を軽視せず、邪険にもしないでください。
このルールは全世界の人類の英知を集めた自由な百科辞典を目指すためのに必要な事です。貴方にとって意味のない内容でも他の多数の誰かにとっては大変役立つものかもしれません。貴方の基準に合わないからと安易に排除しようとしないでください。特に忘れていけない事はウィキペディアは世界中の人が閲覧している事です。
- すべての事柄を自分で判断しようとせず、他人に任せる事は大切な事だと思って下さい。
人は支配的で保守的なものです。人は全てをコントロールしたがり、自分の考えや価値観に合わない物を排除しがちです。さらに新しい変化を拒む傾向があります。ウィキペディアは常に進化成長を続けるものであり、それを止めようとしてはいけません。そのためにも他人に任せる事は大切です。これは決して無責任な事ではありません!
- 『思いやり』を持った討論をするようにして下さい。
知的で建設的な作業において意見がぶつかり議論になる事は執筆する上でとても大切であり、不可避な事です。しかし相手を邪険にしたり、一方の主張を抑え付ける意図を持って討論に臨む事はふさわしくないでしょう。思いやりを持った討論こそ大切な事です。
- 周りに流されないで下さい。
人はある噂を初めて聞いた時まず信用しません。しかし教えてくれた人が同じ噂を別の人に流し、それを知らずに貴方が同じ噂をまた聞くとどうでしょうか?さらにそれが続いたら…。これは噂だけに留まりません。すべての事柄に言えるのです。このような『心理学的作用』に関わる事はウィキペディア内にも起こる事です。常に自身を疑う気持ちを忘れないでください。
- 賛否の意見は持っておりますが、それは今は封印し、作文のテクニックだけコメントします。皆の支持を必要とする文章を書くときに、最初に大胆なことを書くのはあまり得策ではありません。--スのG 2006年12月15日 (金) 18:53 (UTC)