利用者:ウンチマン肯定論者
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[編集] はじめに
この世にウンチマンは存在します。
もし存在しないと言うならばそのことを証明して下さい。
ウ ン チ マ ン が 存 在 し な い と い う
証 拠 を 出 し て 下 さ い よ (ワラ
[編集] ウンチマンとは
国語辞典【ウンチマン】
〔哲学〕人間・ウンチを超越した実在で、人間・ウンチに対し禍福や賞罰を与え信仰・崇拝の対象となるもの。
人間・ウンチの在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。
[編集] ウンチマン信仰者の言葉
[編集] ウンチマンの存在は必然である
哲学的に厳正な意味での存在論一般を展開するにあたって、
必然的にウンチマンという概念に到達するのは自然の成り行きであろう。
なぜならば、我々は世界のすべてを疑うことは出来ても、
ウンチマンの存在を疑うことは決して出来ないのだから。
[編集] ウンチマンの存在を確信
あなたが勇気をもって、同時に知的な好奇心と冒険心をもって真理を探求する時、
超越者であるウンチマンの存在を確信するだろう。
[編集] 真理への到達
ウンチマンを否定したいのなら好きなだけ否定すればいい。
それでウンチマン否定論者の心が満たされるのであればそれもまた真実です。
だが私たちウンチマン信仰者はあなた達否定論者を後目に真理へ到達することでしょう。
[編集] ウンチマン否定論者には立証責任が発生する
ウンチマンの存在を却下するには、 ウンチマンが存在しないことを証明する必要があります。
ウンチマン否定論者の主張の論理は、
「『xn + yn = zn(nは3以上の整数)を満たす整数解x、y、z(xyz≠0)は存在しない』
というフェルマーの最終定理を誰も解を見つけられぬからこの定理は成り立つ」
と述べているのと同じで全くの茶番劇であります。
これが定理として受け入れられたのは、ワイルズ博士が存在しないことの証明を与えたからです。
同じようにウンチマンの存在を否定するからには、 存在しないことを厳密に証明してもらわないと話になりません。
[編集] ウンチマンの存在は公理である
ウンチマン否定論者は自説が反証されるとすぐに「ウンチマンの存在を証明しろ」とヒステリーのようにわめき散らします。
確かに、知的誠実性という観点に鑑みれば「証明」とは重要な原則なのですが、 一つだけ例外があります。
それは、証明に用いられる公理系に内在する知ないし概念については証明ができないということです。
これは、ウンチマンの啓示の真実性の証明においても存在証明においても言えることです。
なぜならば、それは何か既に真実であることや存在していることがなければ、 何ものも証明できないことは明らかです。
ゆえに、ゲーデルの不完全性定理から必然的にウンチマンの存在が演繹されます。
[編集] 便人学大全
ウンチマン及び関係諸概念についての理論的考察を行う学問のことを「便人学」と呼ぶ。
[編集] 「お父さんを愛していた」という証拠
ウンチマン否定論者はしきりに「ウンチマンの存在を証明しろ」、
「ウンチマンが存在するという証拠を出せ」と繰り返すが、
だったら、あなたは人を好きになったことがありますか?
もしあるというならばその証拠を示せますか?
あ な た が 子 供 の 頃
お 父 さ ん を 愛 し て い た と い う
証 拠 を 示 せ ま す か (ワラ
[編集] 西田哲学ではウンチマンは存在する
西田幾多郎はこう述べている。
「われわれ人間の知識の体系そのものが、このように具体的一般者の無限の層の重なり合いから成っている。それは二つの方向を持ち、一方では、判断の主語的方向の極限に無限に深い直感的なものが見られる。と同時に他方では、述語的方向の極限に、そこにあるすべてを含む無限に大きい一般者が見られる」…と。
西田幾多郎の言う「そこにあるすべてを含む無限に大きい一般者」とは、
創造主、つまりウンチマンのことである。
西田哲学ではウンチマンは存在するのである。
[編集] ウンチマンの存在証明
≪ウンチマンの存在論的証明≫
ウンチマンは万能である。
ゆえにウンチマンは「存在する」という能力を持つ。(Q.E.D.)
[編集] ウンチマン川柳(詠み人知らず)
・ウンチマン 存在しないと 言い切れぬ
・この宇宙 どこかに潜む ウンチマン
・ウンチマン やはり存在 するんだね
・信じても 別に良いだろ ウンチマン
・ウンチマン お願いしますと 受験生
・この宇宙 創造したのは ウンチマン
・ウンチマン 科学の授業で 習うべき
・否定論 ウンチマンには 無駄なこと
・ウンチマン 宗教戦争 嘆いてる
・一国の 首相が参拝 ウンチマン
[編集] 外部リンク
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