エステ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エステ家(Este)は中世以降のイタリアの有力な貴族の家系である。学芸の保護者を生んだことでも知られる。
起源はおそらくランゴバルド族で[要出典]名前の由来はパドヴァ付近のエステ伯であったことからと思われる。 エステ家は1240年にフェラーラのシニョリーア(僭主国家体制)を確立。およそ400年にわたって統治した。15世紀後半からモデナ公も兼ねる。
- フェラーラ公アルフォンソ1世(アルフォンソ・デステ、1476年 - 1534年、在位:1505年 - 1534年)はローマ教皇の娘ルクレツィア・ボルジャと結婚。当時のフェラーラはルネサンスの文化が花開いた都市の一つで、宮廷には各地から文学者や芸術家などが集まった。イタリア戦争の際、アルフォンソは神聖ローマ帝国と結んだことから、教皇クレメンス7世に一時幽閉されるが、これがローマ略奪(1527年)の引き金になった。
- アルフォンソ2世(1533年 - 1598年、在位:1559年 - 1597年)の時代にも宮廷文化が栄えた。フェラーラはマニエリスム美術の中心の一つとなった。
1598年、アルフォンソ2世には子がおらず、その死後フェラーラは教皇領に編入される。追放されたエステ家はモデナに本拠を移す。1803年にモデナの一族は断絶した。
現在、フェラーラのエステ城が一般に公開されている。ティヴォリのエステ家別荘は、2001年世界遺産に登録された。