エスペラント母語話者
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エスペラント母語話者(-ぼごわしゃ)とは、元来人工言語であったエスペラントを母語として自然習得した人のこと。エスペラントでは『denaskuloj』と呼ばれる。母語話者を持つ人工言語は現在エスペラントのみであるとされている。
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[編集] 出現経緯
元来人工言語であるエスペラントには最初母語話者は存在しなかった。しかしエスペラントが普及するにつれて必然的にエスペラント語を通じて知り合った男女が結婚し子供を設ける事例が出てくる。その際家庭内の第一言語はエスペラントとなるため自然と子供はエスペラントを母語として習得することになる。但しエスペラントのみで日常生活を送る共同体は存在しないため子供は必ず他に一つ以上の言語を母語として持つこととなる。
[編集] 母語話者の人数
自身もエスペラント母語話者であるJouko・Lindstedtは1996年に1,000人がエスペラント母語話者であるとの調査報告をしている。エスノローグでは200人から最大2,000人の母語話者が存在しているとしている。
[編集] ピジンのクレオール化との比較
同じように元来は母語話者のいなかった言語が母語話者を獲得する事例としてピジンのクレオール化があげられる。この場合もピジンが家庭内の第一言語となり、それを聞いた子供はピジンを母語とすることとなる。しかし子供が習得したピジンはもはや粗雑で未発達なピジンではなく精緻で完全な(その他の自然言語と同様に人間生活での全ての用途に耐えうる。)言語となる。この場合その言語はもはやピジンではなくクレオールと呼ばれる。この事実から導かれる疑問として、エスペラントが母語化した際同様の変化を蒙らないのかということが挙げられる。この問題に対してBenjamin.K.Bergenは語順の固定や二重否定形の出現などを理由にそのような変化が確実に起こるとしているが、Jouko・Lindstedtはそのような特徴はもう一つの母語の干渉や子供ゆえの表現力不足に過ぎず、エスペラントはそのままの状態で充分通常の自然言語と同じように機能しうると主張している。後者が正しいとすれば、エスペラントが第二言語として百年もの間使用される間に、普遍文法に照らして自然な形へと練られてきたことがその理由として挙げられるだろう。
[編集] エスペラント母語話者に対する評価
エスペラントは本来世界中の人々にとって平等な第二言語として設計されており、その趣旨からして母語話者の出現は芳しいことではない。現に多くのエスペランティストたちは公式にエスペラント母語話者の出現に苦言を呈している。だがエスペラントも言語である以上いくら簡単な文法を持っていても母語話者と非母語話者では同じだけの努力をした場合その実力に圧倒的差が生まれるのは歴然たる事実であり、完全にエスペラントを自らのものと出来るのはやはり母語話者のみであるという事実も認められ始めている。そのためエスペラントの発展の為には母語話者の出現は寧ろ良いことであるとする意見も出てきており評価は二分されている。ともあれエスペラント母語話者が誕生したことで、人工言語であっても充分な発展を遂げれば生きた自然言語に成長しうるということが実証されたのは事実である。この事はそれまでの人工言語に対する偏見を覆すことに大きく貢献した。
[編集] 付記
- ジョージ・ソロスは著名なエスペラント作家ティヴァダー・ソロスの息子であり、両親からエスペラントを母語として学んだ。貴重な、「著名人としての」エスペラント母語話者である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Nativization processes in L1 Esperanto by Benjamin.K.Bergen
- Native Esperanto as a Test Case for Natural Language by Jouko・Lindstedt
- Variation in Esperanto by Bruce Arne Sherwood