エーベル・アントニオ・パラシオス
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エーベル・アントニオ・パラシオス(Ever Antonio Palacios、1969年1月18日 - )は、コロンビア出身のサッカー選手。
コロンビア代表としてフランスワールドカップに出場(背番号3)、イングランドのアラン・シアラー、デビッド・ベッカムらとマッチアップを繰り広げた。
2001年、湘南ベルマーレに加入すると、デビュー戦横浜FC戦にて高い打点のヘディング、華麗なオーバーヘッドクリアなど圧倒的な存在感を示し、わずか1試合でサポーターの信頼を得る。人間性にも秀でており、彼とプレー経験を持つベルマーレ在籍選手は「目標はパラシオス」「パラシオス以上のDFを相手にした事は無い(*FWの選手の発言)」と未だに言い続ける。ファンサービスにも気軽に応じ、また1997-1999年に在籍したクラウジオを彷彿とさせる強力なフリーキックを持つなど、ベルマーレ歴代最強DFの呼び声が高い。
2004シーズン途中、柏レイソルにレンタル移籍。シーズン終盤での移籍だった為、連携面の不安と早野宏史監督の不可解な采配から出番が少なかったが、サポーターからの評価は高く、J1でもその実力を見せつけた。同シーズン終了後、母国コロンビアへ帰国。その際には多くのサポーターが彼の見送りに空港へ訪れた。
2003年以降は怪我に苦しんだが、それさえなければJ1を含め日本屈指のDFであった事に間違い無い。
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[編集] 愛称
愛称はチャカ(Shaka)。
由来は19世紀アフリカの伝説部族長ズールー・チャカを主題としたコロンビア国内で公開された映画の主人公の俳優とソックリだった為。
本人も気に入っており、本人のサインもShakaである。Jリーグでの登録名称も『チャカ』を考えていたが、他国リーグ在籍時にPalaciosで登録していた為、申請が下りない可能性があったので取りやめた(雑誌インタビュー等で語っている)。
[編集] 所属クラブ
- ペレイラ(コロンビア)
- デポルティーボ・カリ(コロンビア)
- アトレチコ・ナシオナル(コロンビア)
- アトレチコ・フニオール(コロンビア)
- 湘南ベルマーレ(日本)2001-2004
- 柏レイソル(日本)2004
- ボジャカ・チコ(コロンビア)2005-2006
[編集] 背番号
- 2001-2002年:4番(湘南ベルマーレ)
- 2003-2004年:15番(湘南ベルマーレ)
- 2004年:2番(柏レイソル)
- 03-04シーズンに背負った背番号15は、本人に縁起の良いとって大切な背番号だった(プロ契約した時や、代表デビューなどで背負った)。
- 02シーズンで昇格に手ごたえを感じた彼は、チームに15番を要望したのだが、皮肉にも背番号変更とともに怪我に苦しみ、湘南所属時には縁起の悪い背番号になってしまった。
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2001年 | 湘南 | J2 | 4 | - | 39 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | |
2002年 | 湘南 | J2 | 4 | - | 40 | 5 | - | 0 | 0 | ||
2003年 | 湘南 | J2 | 15 | - | 28 | 1 | - | 1 | 1 | ||
2004年 | 湘南 | J2 | 15 | - | 16 | 0 | - | - | |||
柏 | J1 | 2 | 7 | 0 | - | - | - | ||||
通算 | 7 | 0 | 123 | 9 | 2 | 0 | 3 | 1 |