オプチカル・プリンター
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オプチカル・プリンター(Optical printer)とは、ムービーカメラに接続された1台以上の小型プロジェクターからなる装置。
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[編集] 概要
オプチカル・プリンターを使うことで、現像済みの映写フィルムを再度、別のフィルムに光学的に焼き付けることが可能となる。映画や古いフィルムのコピー、修正、特殊効果に用いられる。特殊効果にはフェードイン(画面が徐々に暗くなる)・フェードアウト(画面が段々明るくなる)・ディゾルブ(クロスフェードとも。画面が徐々に別の画面へと移り変わる)・スローモーション・クイックモーション・マット合成などが含まれる。複雑な処理の場合、複数の特殊効果を1ショットに含めることも出来る。
経済的な理由から、オプチカル・プリンターを使う通常の映像作品では、「特殊効果を加えるカット」だけがオプチカル・プリンターにかけられた(特殊効果を加えるカットは「ネガ編集」の段階で「オプチカル出し」と呼ばれるカットとして切り出され、合成されて戻ってきたネガフィルムが、合成されていないネガフィルムとつなげられた)。そのため、オプチカル合成を行ったカットと行っていないカットとは世代が異なり、明らかに見栄えが異なる。この落差は作品によって異なるものの、プロが見なければわからない程度の差のものから素人が見てもわかるくらいに大きな差があるものまで、さまざま。このあたりは、ネガ編集を行う職人やオプチカル・プリンターを扱う職人のウデが光る部分でもあった。
[編集] 歴史
最も単純な構造のオプチカル・プリンターは1920年代初めに開発された。その後、1930年にリンウッド・ダンによる改良が加えられ、1980年代にはコンピュータ制御を備えたものが現れた。しかし1980年代終わりにデジタル処理による特殊効果が使われはじめ、1990年代半ば以降は、完全にデジタル処理に主流が移り変わってしまった。
それ以降では、オプチカル・プリンターは商業作品で使われることは稀で、一部の(フィルム撮影を行なう)映像作家に使われるだけとなってしまった。
[編集] 円谷プロが購入したオプチカル・プリンター
1960年代初め、円谷プロの社長だった円谷英二は、当時世界に2台しかないとされた、アメリカの会社・オックスベリー社製のオプチカル・プリンター(オプチカル・プリンター1200 11万ドルという値段であったとされる。当時のレートで換算すると4000万円以上)を購入資金のあても無いまま発注した。
しかし使用予定であった「Woo」(ウルトラQ以前の企画段階の番組)が中止となり、またキャンセルしようにも既に船で輸送途上とあって同プロは困窮、しかしその頃TBSの敏腕ディレクターであった円谷の長男・一の仲介で、TBSが代金を肩代わりし、同局のために円谷プロがオプチカル合成技術を用いた特撮番組を制作するという契約が結ばれ、後の「ウルトラシリーズ」で使用される事となった。
[編集] 参考文献
- ウルトラQ伝説 -日本初の空想特撮シリーズの最終資料 著:ヤマダ マサミ 発行:アスペクト社(1998/03) ISBN 4-7572-0052-8