オルハン
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オルハン(1284年 - 1359年?)は、オスマン帝国の第2代君主(在位: 1326年 - 1359年?)。初代君主・オスマン1世の子。
1326年、父の死により君侯(ベイ)の位を継いで即位する。即位後は父の勢力拡大政策を受け継いで同年のうちにブルサを征服し、同地をオスマンの首都と定めた。さらに宰相・チャンダルル・カラ・ハリルの助力を得て東ローマ帝国に侵攻した。東ローマ帝国ではこの頃、帝位をめぐる内紛が続いており、オルハンはその一方であるヨハネス6世カンタクゼノスに味方し、彼の登極を助けた。オルハンはその返礼としてカンタクゼノスの娘テオドラを妻に迎えている。また、この内乱の中でカンタクゼノスの敵を支援したセルビア王国を打ち破った事は、後のバルカン半島への急速な拡大の伏線ともなった。なお、バルカンでのこうした作戦に於いては彼自身よりも長子のスレイマンの活躍が大きく、1354年に半島の入り口となるダーダネルス海峡沿いのカリポリス(現ゲリボル)を占領したのもスレイマンである。
また、オルハンは内政においてもイスラム法官の制度を整備し、さらにメドレセ(大学)を創設して教育制度を確立するなど、国家体制の整備に努めた。オスマン帝国が独自の貨幣であるアクチェ銀貨を初めて鋳造したのもこの時代であり、オルハンの時代はガーズィー(戦士)集団から国家への過渡期の時期であったといえる。
オルハンの没年は諸説あり、1359年説が有力だが、1362年に死去したという説もある。有能な将軍で後継者と目されていた長子スレイマンは父よりも先に事故死し(東ローマ分遣隊と遭遇して戦死したという異説もある)、君主の地位は次子ムラト1世が継いだ。
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