カルロス2世 (スペイン王)
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カルロス2世 (Carlos II, 1661年11月6日 - 1700年11月1日)はスペイン・アブスブルゴ(ハプスブルク)朝最後の国王(在位:1665年 - 1700年)。フェリペ4世とマリア・アナ王妃の息子である。
[編集] 生涯
出生時から病弱な人物であったが、当時その理由は「呪いをかけられたため」と一般に考えられており、カルロス2世自身もそう思っていた。ただし現在では、彼が病弱だった理由はおそらくハプスブルク家の近親結婚(父母は叔父と姪の関係であり、また父フェリペ4世の妹マリア・アナはカルロスにとって叔母であると同時に祖母でもある)であろうと考えられている。
現在、カルロス2世は先端肥大症などのいくつかの病気を患っていたとも推測されている。また知的障害もあったらしく、教育らしい教育をすることも困難であったという。その為、王位は継承したものの、実権は母や異母弟のオニャテ伯フアン・デ・アウストリア(1677年から1679年まで宰相を務めた)が掌握していた。
1679年にはオルレアン公フィリップ(フランス王ルイ14世の弟)の娘マリア・ルイサと結婚した。しかしカルロス2世は性的には不能だったと推測され、子供を作ることが出来なかった。マリア・ルイサは1689年に27歳で死去。カルロスは後添いとしてプファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムの娘マリア・アナを娶る。しかしこの結婚も成功ではなかった。やがてカルロスの精神障害の症状は悪化し、先妻の遺骸を掘り起こして手元に置くなどの奇行が始まる。こうした奇行を自殺願望の現れ(ただしカトリック教徒として自殺は出来なかった)と見る歴史家も居る。
1700年、カルロスはスペイン王位をアンジュー公フィリップ(フェリペ5世)に譲ると表明して死亡。スペイン・ハプスブルク家は断絶した。カルロスの死後、スペイン王位を争ってスペイン継承戦争が勃発する。
[編集] 系図
カルロス2世 | 父: フェリペ4世 (スペイン王) |
フェリペ3世 (スペイン王) | フェリペ2世 (スペイン王) |
オーストリア大公女アンナ[1] | |||
オーストリア公女マルハリータ[5] | カール2世 (オーストリア大公)[2] | ||
バイエルン公女マリア・アンナ[3] | |||
母: オーストリア皇女マリア・アナ |
フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝) | フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝) | |
バイエルン公女マリア・アンナ[4] | |||
スペイン王女マリア・アナ | フェリペ3世 | ||
オーストリア大公女マルハリータ[5] |
- オーストリア大公女アンナは、マクシミリアン2世 (神聖ローマ皇帝)とフェリペ2世 (スペイン王)の妹の間の娘。
- カール2世は、マクシミリアン2世 (神聖ローマ皇帝)の弟でフェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)の父。
- カール2世妃マリア・アンナは、バイエルン公アルブレヒト5世とカール2世の妹の間の娘。
- フェルディナント2世妃マリア・アンナは、アルブレヒト5世の息子バイエルン公ヴィルヘルム5世の娘。
- フェルディナント2世とオーストリア大公女マルハリータは兄妹。
- 詳細な家系図はen:Image:Carlos segundo80.pngを参照のこと。
[編集] 関連項目
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