カワサキ・Z1000R
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Z1000R(ゼット1000アール)とは、川崎重工業が製造販売していたオートバイである。
Z1000Rは1981年度AMAスーパーバイクでの優勝を記念し1982年に発売された。企画を出したのはUSカワサキで、カワサキ本社がそれに応じて生産を行った。ベースとなったのは、優勝車両のベースと同じZ1000Jで、すでに発売されていたZ1100GP(B2)とおなじ外装を装着(大容量の角型タンクとビキニカウルの装着)し、色はカワサキのチームカラーであるライムグリーンに。さらにフロントブレーキディスクの大径化、サスペンションセッティングの変更、エンジンカバーの黒塗装、専用の段付きシート、キャブレターは専用セッティング、排気管はカワサキ純正のマフラーではなく、AMAの優勝車両で使用されたKERKER製のメガフォンタイプマフラーだった。これもUSカワサキからの強い要望により採用された。タンクにはエディローソンのサインの入ったAMAスーパーバイクチャンピオンシップシリーズチャンピオンのステッカーが誇らしげに貼られ、北米および南アフリカで900台が限定販売された。
Z1000Rはローソンレプリカ(通称・ローレプ、海外ではELR)とも言われる。ローソンとは当時のカワサキワークスライダーのエディ・ローソンであり、オートバイのことを少しでも知ってる人なら、一度は名前を聞いたことがあると思われる。
エディ・ローソンはZ1000Rシルエットの市販レーサーであるZ1000S1(AMAの規定である最低販売台数24台をクリアするために35台が販売された)をベースとしたスペシャルマシンを駆って1982年度も優勝を果たした。この結果を受けてカワサキ本社は再び記念モデルの発売を決定。1983年にフォーク、ステアリングステム形状、メーター形状、リアサスペンション、カラーリングが変更されたZ1000R-2を発売した。変更点の多くはベースとなったZ1000Jが2型から3型に変わったことによる。この車両は北米だけでなくヨーロッパでも発売され人気を博した。北米・欧州を含めて約7000台が生産された。生産台数の違いと、R-2発売時にすでにエディ・ローソンはカワサキからヤマハに移籍しており「スーパーバイクレプリカ」という名前で発売されたことから、中古車市場においてR-1にくらべてR-2はやや安めの価格で取引されている。
市場にKZ1000RとZ1000Rの二通りの表記があるが、KZはUS仕様、Zは他仕様地となる。