ガストン・ド・フォワ
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ガストン・ド・フォワ(Gaston de Foix, Duc de Nemours、1489年12月10日 - 1512年4月11日)は、16世紀初頭のフランスの将軍、ヌムール公。ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワとフランス王ルイ12世の姉マリー・ドルレアンの子。「イタリアの雷」(le foudre d'Italie)と呼ばれた。
1511年、21歳の若さでフランス軍の総司令官となり、カンブレー同盟戦争(広義のイタリア戦争)で活躍。勇猛果敢な戦い振りで知られ、フランス軍に数々の戦勝をもたらしたが、ラヴェンナの戦い(1512年4月11日)で戦死した。
フランス軍は戦闘には勝利したものの、総司令官の戦死によって士気が下がり、この勝利を戦略的に有効活用できないまま、結果的に退却を余儀なくされた。