グラマトロジー
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グラマトロジー(仏:grammatologie)とは、デリダが、その著作『グラマトロジーについて』で展開、提唱した概念。「文体学」と訳すことが出来る。
『グラマトロジーについて』の主な内容は、当時の構造主義の思潮を支えていたソシュールやレヴィ=ストロース、ルソー(近代啓蒙思想の祖であり、レヴィ=ストロースは彼を信奉していた)に対する批判である。
また『グラマトロジーについて』の英訳はスピヴァクが担当し、彼女による長大な序文は有名である。
[編集] 主な主張
例えば、ソシュールは記号概念を依然として使い続けたことで批判される。 実際には厳密な区別不可能であるシニフィアンとシニフィエという二項を維持してしまったため、その区別を可能にする超越論的シニフィエ(言葉に意味をもたらす何か)の存在を正当化し、また、言語を精神的実体と規定したり、シニフィアンに冒されない純粋なシニフィエを想定したりする。 つまり、ソシュール流「構造」は西洋形而上学的「理性=音声中心主義」をより強固にしてしまった。
グラマトロジーとは、こうした二項対立を廃棄するのではなくそれをズラすことで新しい状態を生じさせること、パロールであろうとエクリチュールであろうとあらゆる概念を差延し、概念を転倒させるのではなく、ズラしてしまうことである。
グラマトロジーは理性=音声中心主義と結びつくあらゆる学問、思考様式の脱構築を目指す。 その仕事に終わりは無く、グラマトロジーの試み自体が「学問的」にならないようにしなければならない。グラマトロジーは学問というより、学問と呼ばれるものの境界を順次にさだめるものである。
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