ゲーリー・グッドリッジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲーリー・グッドリッジ | |
---|---|
基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | ビッグダディ、剛力王 |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | |
誕生日 | 1966年1月17日 |
出身地 | ![]() |
現居住地 | |
スタイル | アームレスリング |
戦績 | |
総試合数 | |
総勝利数 | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
判定勝ち | |
総敗北数 | |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | |
無効試合 |
ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、1966年1月17日 - )は、トリニダード・トバゴ出身のプロ格闘家。身長186cm、体重108.9kg。血液型O型。
アームレスリング世界一という怪力の持ち主。腕に刻まれた“剛力”のタトゥーの通りである。その太い腕から繰り出される剛力パンチと、常にアグレッシブに前へ出続けるファイトスタイル、勝っても負けても派手なパフォーマンスで見る者を興奮させてくれる。また、見た目とは裏腹な人の良さから、他の格闘家から尊敬されている。
UFC、PRIDEなどの総合格闘技を主戦場としていたが、2003年12月31日の『PRIDE 男祭り 2003』以降はPRIDEのリングを去り、立ち技格闘技K-1を主戦場としている。どんなルールでも会場を沸かすことのできるオールマイティーファイターである。
40歳となった今でも衰えを知らず、戦い続けている。
いつも試合終了後にリングに上がってくる黒人女性はゲーリーの妹(スージー)である。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] PRIDE時代
1997年10月11日、日本の総合格闘技イベントPRIDEの旗揚げとなった第一回目の興行『PRIDE.1』で、サンボ選手権王者のオレッグ・タクタロフをその豪腕で殴り倒し、そのままグラウンドパンチの連打で戦闘不能に追い込みレフェリーストップ勝利。デビューを飾る。
そのアグレッシブなファイトスタイルを買われ、『PRIDE.2』でマルコ・ファス、『PRIDE.3』でアミール、『PRIDE.4』でイゴール・ボブチャンチンと連続で出場。その後も『PRIDE.16』までほぼ連続で、数々の選手達と次々と激戦を繰り広げる。このように、PRIDEに初出場する未知の強豪選手との対戦が多かったことから、いつしか「PRIDEの番人」の異名でファンから親しまれる様になった。
2000年に開催した『PRIDE GP 2000』では、開幕戦で大刀光をギロチンチョークで葬るも、決勝戦では因縁の相手イゴール・ボブチャンチンにKO負けを喫してしまう。その後リコ・ロドリゲス、ギルバート・アイブルに連敗するも、谷津嘉章、ヴァレンタイン・オーフレイム戦と連勝する。
しかし、2001年7月29日の『PRIDE.15』では、PRIDE初参戦のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに三角絞めを極められ、無念のタップアウト負け。ノゲイラのデビュー戦の引き立て役になってしまう。
2003年に開催した 『PRIDE GP 2003』では開幕戦、決勝戦ともに第1試合に出場。 8月10日の開幕戦では「皇帝」エメリヤーエンコ・ヒョードルに何もさせてもらえず完敗。しかし11月9日の決勝戦ではPRIDE初参戦のダン・ボビッシュを豪快にKOで破り、見事番人の面目躍如を果たす。
2003年12月31日の『PRIDE男祭り 2003』で、「PRIDE男塾塾長」ドン・フライと対戦。華麗なハイキックでフライを見事秒殺で破り、KO勝利を飾る。勝敗に関わらず試合前に格闘家からの引退を表明しており、これが引退試合となるはずであったが、「闘い」を忘れることができないとの理由で、その後のK-1との契約に至る。
[編集] K-1時代
2003年以降はK-1を主戦場にしている。K-1でもK-1歴代王者のピーター・アーツやマーク・ハントとも互角に渡り合い、マイク・ベルナルドやシリル・アビディ、カーター・ウィリアムスなど多くのK-1ファイターを破るなど、期待以上の活躍を見せる。
2005年7月29日の『K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII』では、カーター・ウィリアムスや藤本祐介らを全試合KOで破り優勝。
『K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦』では、2002年に秒殺KO負けを喫したジェロム・レ・バンナと激突。リベンジを狙うもまたもバンナの右フックの前にKO負け。
2006年も数多くの大会に出場するも、その多くが欠場者の代役であり、十分な準備期間のないままの出場となってしまっている。しかしそんな中でも白熱した戦いを繰り広げ、会場をおおいに盛り上げている。彼曰く「もし、負けても試合が面白くなればそれでいい」らしい。
マイク・ベルナルドをKOした際に彼を侮辱する行為(ダウンした彼を踏みつけ、腕を高々と上げた)をしたため、彼との間には確執が生まれる。後にマイク・ベルナルドにKOされたあと同じことをされ、リベンジされた。その後、お互いきっちりと和解し、ベルナルドのファンサイトにゲーリーの動画メッセージが届いたり、ベルナルドのコーチであるスティーブ・カラコダがゲーリーのセコンドを務めるなど、関係は改善したようである。
また、地区予選レベルの相手なら試合が始まった途端、一気に間合いを詰め、自慢の豪腕でKOする豪快なパフォーマンスが見られるが、トップファイターが対戦相手だと普段見せている勢いが全く見られず何もできないままKO負けを喫してしまうことが多い選手である。具体的な例を挙げると、2005年のジェロム・レ・バンナ戦がもっとも有名。
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 WORLD GP 2005 in HAWAI 優勝
- K-1 WORLD GP 2006 in Las Vegas 準優勝
- K-1 WORLD GP 2006 推薦枠ファン投票9位
[編集] 出演作品
- 「ゴジラ FINAL WARS」(ニック役)