シャンプレーン湖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャンプレイン湖(Lake Champlain)はアメリカのバーモント州とニューヨーク州およびカナダのケベック州の境界部分に位置する湖。大部分はアメリカ領内にあり、アメリカでは6番目に大きな湖である。
バーモント州のグリーン山脈とニューヨーク州のアディロンダック山地の間に位置し、北の端がカナダのケベック州に入る。 リシュリュー川が流れ出し、バーモント州からウィヌースキー川、ミシスクォイ川、Lamoille川が、ニューヨーク州からオーサブル川、Chazy川、サラナック川が注ぐ。 さらに、ジョージ湖からもLa Chute川を経由して水が注ぐ。 湖周辺の地域はシャンプレインバレーといわれる。
名前はフランス人の探検家サミュエル・ド・シャンプランにちなんで付けられた。 彼は1609年この地域の探検中にイロコイ族に殺された。
19世紀、シャンプレイン湖はハドソン川水系とシャンプレイン運河で繋がった。 バーリントン、ポート・ヘンリー、プラッツバーグの港を利用しているのはは現在ではほとんど小さな船やフェリー、湖のクルーズ用の船である。 しかし、以前は商業的に非常に重要な港だった。
シャンプレイン湖はラブラドル半島からアメリカ北部を通りノースウェスト準州まで弧状に分布する多くの湖のひとつである。 五大湖には及ばないものの、シャンプレーン湖は大きな淡水湖である。 面積は約1130 km² 、長さはおよそ180 kmで幅は最大19 kmである。 約80の島があり、全てバーモント州に属している。
植民地時代、シャンプレイン湖は、はやくからセントローレンス川とハドソン川との間の航路として使われた。 湖北端のサンジャンシュルリシュリューはモントリオールに近く、南端のホワイトホールはサラトガ、グレンズフォールズ、オールバニーに近い。 植民地時代にはタイコンデロガとクラウンポイントの砦が湖の航行をコントロールしていた。 1758年と1777年にはタイコンデロガで大きな戦いがあった。1776年にはバルクール島、で1814年にはプラッツバーグで海戦があった。
米英戦争の後、イギリス領カナダからの攻撃を防ぐため、ブランダー砦がアメリカ人によってつくられた。