シルビア・ファリナ・エリア
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シルビア・ファリナ・エリア |
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基本情報 |
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英語名 | Silvia Farina Elia |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・ミラノ |
生年月日 | 1972年4月27日 |
身長 | 172cm |
体重 | 62kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1988年 |
引退年 | 2005年 |
ツアー通算 | 12勝 |
シングルス | 3勝 |
ダブルス | 9勝 |
生涯通算成績 | 738勝625敗 |
シングルス | 469勝370敗 |
ダブルス | 269勝255敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 4回戦(2004・05) |
全仏 | 4回戦(2001・02) |
全英 | ベスト8(2003) |
全米 | 4回戦(2002) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 11位 |
ダブルス | 24位 |
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シルビア・ファリナ・エリア(Silvia Farina Elia, 1972年4月27日 - )は、イタリア・ミラノ出身の元女子プロテニス選手。長年にわたり、イタリアの女子テニス界を代表してきた選手である。既婚選手として、自分の姓「ファリナ」(Farina)と夫の姓「エリア」(Elia)を併用している。自己最高ランキングはシングルス11位、ダブルス24位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス9勝を挙げた。「大器晩成」の最たる例のような選手だった。
シルビア・ファリナの両親は保険外交員で、彼女は母親の勧めで10歳からテニスを始めた。1988年にプロ入り。1993年から女子国別対抗戦・フェドカップのイタリア代表選手となる。1999年9月22日にコーチのフランチェスコ・エリア(Francesco Elia)と結婚。2001年5月にフランス・ストラスブールの大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で、プロ入り13年目にして初のシングルス優勝を成し遂げた。それまでの間、彼女は7度もWTAツアー決勝戦で厚い壁に阻まれ続け、1998年には4度も準優勝止まりがあった。2001年1月にもオーストラリア・ゴールドコーストの大会の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに敗れ、シングルスのキャリアで7度目の準優勝の苦杯をなめていた。それだけに、ストラスブールの大会の決勝戦でドイツのアンケ・フーバーを 7-5, 0-6, 6-4 で破り、29歳にしてシングルス初優勝を果たしたファリナ・エリアの感慨は特別なものがあった。
この初優勝で波に乗った彼女は、続く全仏オープンでも自身初の4大大会4回戦進出を果たした。この大会では3人のイタリア人選手が女子シングルスの4回戦に勝ち残り、ファリナ・エリアとリタ・グランデ、フランチェスカ・スキアボーネが勝ち進んだが、これはイタリアのテニス界を通じて史上初の偉業だった。それから2003年まで、ファリナ・エリアはストラスブールの大会で3連覇を達成した。
ファリナ・エリアの4大大会自己最高成績は、2003年のウィンブルドンベスト8進出である。この準々決勝ではキム・クライシュテルスに 7-5, 0-6, 1-6 の逆転で敗れた。2004年度のツアーでは2度の準優勝がある。
晩成型の選手だったファリナ・エリアもついに力尽きる時が訪れ、2005年10月に33歳で正式に現役引退を表明した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- シルビア・ファリナ・エリア - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表 (参考:イタリア・チームの歴史)
カテゴリ: イタリアのテニス選手 | 1972年生