ジャヤーヴァルマン7世
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ジャヤーヴァルマン7世(1130年-1218年、在位1181年-1218年)は、アンコール朝の第二十代国王。
1177年、まだジャヤーヴァルマン7世が王として即位する前、アンコール朝は隣国のチャンパからの侵攻を受けて首都を奪取され、滅亡の危機に瀕していた。しかしジャヤーヴァルマン7世は智勇に優れた人物で、巧みな戦術を駆使してチャンパ軍に徹底して抗戦し、1181年には首都を奪還して、王として即位した。
そして1190年、報復のために今度はジャヤーヴァルマン率いるアンコール軍が逆にチャンパに侵攻して、その領土を奪った。
内政面においても優れた人物で、国内の街道整備、病院の建設を積極的に行なって国民に広く活用させるという善政を行なっている。しかしジャヤーヴァルマン7世は晩年から仏教を狂信するようになり、国内各地に寺院の建設を積極的に行なった。そしてこの建設費用のために、国民に対して重税と賦役を強いるという悪政を行なったことも事実である。
また、クメールの美術の象徴とも言えるアンコール・トムが建設されたのは、このジャヤーヴァルマン7世の時代であり、このジャヤーヴァルマン7世の時代に、政治的にも文化的にも大きな発展を遂げたアンコール朝は、全盛期を迎えたのである。しかし、寺院の建設による国民の民心離反や財政破綻を招いたのも事実で、このジャヤーヴァルマン7世の時代を契機として、アンコール朝は急速に衰退するのであった。