ジョン・エントウィッスル
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ジョン・アレック・エントウィッスル(John Alec Entwistle, 1944年10月9日 - 2002年6月27日)は、イギリスのミュージシャン。ザ・フーのベーシスト。彼はそのリード・ベースでノエル・レディング、クリス・スクワイア、スティーヴ・ハリス、ビリー・シーンといった同世代および後のベーシスト達に大きな影響を与え、代表的ベーシストの一人と見なされる。
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[編集] 生い立ち
ジョン・アレック・エントウィッスルは1944年にロンドン郊外のシスウィックで生まれる。1960年代初頭に彼は学校の友人であったピート・タウンゼントとジャズ、ディキシーのデュオを結成し、その後タウンゼントと共にロジャー・ダルトリーのバンド、デトゥアーズに加入する。バンドは後にザ・フーとなった。
彼はステージ上では静かに立って、タウンゼントやダルトリーの様に大きく動かなかったことから「The Ox」の愛称で呼ばれた。ビル・ワイマンは彼のことを「私生活では最も静かな人物であるが、ステージ上では最もやかましい人物である」と語っている。彼は更にバンド仲間やファンから「Thunderfingers」「Big Johnny Twinkle」と呼ばれていた。
ジョン・エントウィッスルは才能のある作曲家であった。彼は「従兄弟のケヴィン」「マイ・ワイフ」「ボリスのくも野郎」「ヘヴン・アンド・ヘル」といったフーのいくつかの代表曲を作曲した。
これらの曲や彼の多くのソロ作は、多くの場合ピート・タウンゼントの内省的な作品とは相容れない物であり、フーの作品としてレコーディングされないことに不満を持った彼は1971年に『スマッシュ・ユア・ヘッド・アゲインスト・ザ・ウォール』をリリースする。彼はフーの中で最初にソロ・アルバムをリリースした。
[編集] 死
ジョン・エントウィッスルは2002年、ザ・フーの北米ツアー初日、ラスベガスでのショーの前日に急死した。彼の代役としてウエールズ出身のピノ・パラディーノ(タウンゼントのソロ作にも参加している)が参加し、ステージを務めた。
ラスベガスの検屍官は、コカインの摂取による心臓発作が死因であると断定した。血流中の量はそれほど多くなかったが、心臓の既往症によって損傷を受けていた冠状動脈がコカインによる影響で致命的な発作に結びついたと考えられた。
エントウィッスルの何百にも及ぶギターやベースのコレクションは、相続税対策として息子のクリストファーによってロンドンのサザビーズで競売にかけられた。ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーのベーシスト、ピーター・フックはオークションでエントウィッスルのベースの内のいくつかを落札した一人であった。
エントウィッスルのコッツウォルド丘陵のストウ・オン・ザ・ウッドにある大邸宅と多くの所有物は、内国税収入で税検査官の要求に応じるため売り払われた。皮肉にもエントウィッスルはザ・フーが成功する以前、税検査官であった。
ジョン・エントウィッスルはグロスターのストウ・オン・ザ・ウッドにある聖エドワード教会に埋葬された。
[編集] ディスコグラフィ
- スマッシュ・ユア・ヘッド・アゲインスト・ザ・ウォール - Smash Your Head Against the Wall (1971)
- ウィッスル・ライム - Whistle Rymes (1972)
- 死後硬直 - Rigor Mortis Sets In (1973)
- マッド・ドッグ - Mad Dog (1975)
- トゥー・レイト・ザ・ヒーロー - Too Late the Hero (1981)
- The Rock (1996)
- キング・ビスケット・ライヴ - King Biscuit Flower Hour Presents In Concert (1996)
- Left For Live (1999)
- So Who's the Bass Player? The Ox Anthology (2005)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: イギリスのミュージシャン | ベーシスト | 1944年生 | 2002年没