ジョン・ボーフォート
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ジョン・ボーフォート(John Beaufort)は男性の人名である。
- ジョン・ボーフォート (初代サマセット伯) (1371年頃 - 1410年)は、イングランド王エドワード3世の王子ジョン・オブ・ゴーントの息子であるが、私生児であったために同腹の3人の兄弟と共に臣籍降下してボーフォートの姓を与えられた。
- ジョン・ボーフォート (サマセット公) (1404年 - 1444年)は上記初代サマセット伯の次男である。百年戦争での戦闘でフランス軍に捕らえられ、17年間を捕虜として過ごす。後にイングランド軍ギュイエンヌ(Guyenne, 現在のアキテーヌ地域圏)方面軍司令官に就任するが、これは名門ボーフォート家の出身であったが故と言われている。
- ジョン・ボーフォート (ドルセット侯) (1455年頃 - 1471年)は上記サマセット公の甥にあたる。父、エドムンド・ボーフォート (第2代サマセット公)がヨーク公リチャードの政敵であったため、必然的にその3人の息子も敵対するランカスター派として薔薇戦争を戦った。テュークスベリーの戦いで捕らえられ、兄エドムンド・ボーフォートと共に処刑される。これによってボーフォート家の男系は途絶える事になる。