ジョージ・ケイリー
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ジョージ・ケイリー(Sir George Cayley 、1773年12月27日 - 1857年12月15日)はイギリスの航空のパイオニアである。航空工学の初期の研究を行うとともに、グライダー模型・有人のグライダーを製作した。
19歳で男爵家をついだ、ケイリーは航空の研究を行った。翼の揚力を計測する装置を作り実験を行った。1809年から1810年に空中航行に関する論文を発表している。1804年には、手投げのグライダーではあるが固定翼機の原理をおさえた模型を製作している。その後飛行船用の蒸気エンジンなどの研究をおこなっていたが、1843年のウィリアム・ヘンソンの蒸気飛行機計画の騒ぎから、再び機体の研究を行うようになった。1849年に三葉のグライダー、1853年には単葉のグライダーを製作し、ケイリーの馬車の御者の操縦で100m以上の飛行に成功した。パイロットが「自分は飛ぶために雇われたのではない」といった話は有名な逸話である。