スイグン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | アングロアラブ |
生誕 | 2000年4月21日 |
父 | ホーエイヒロボーイ |
母 | エイランスイセイ |
生産 | 中山巖 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 村上俊信 |
調教師 | 千同武治(福山) |
競走成績 | 40戦22勝 |
獲得賞金 | 7302万円 |
アングロアラブ系の競走馬による競馬が全国的に縮小する中、福山競馬場を本拠地としてアングロアラブ系の全国交流戦を相次いで優勝するなどして活躍し、2004年度および2005年度のNARグランプリアラブ最優秀馬に選出された。
2002年6月にデビュー(4着)。2歳時は堅実な走りはするものの決して目立つような馬ではなく、3歳春も福山ダービー馬ユノエージェントに一歩置かれる存在だった。初遠征となる園田の楠賞兵庫アラブ優駿ではサンクリントと接戦を演じるが、道中他の馬を落馬させる妨害で失格となってしまう。だがここから快進撃がスタートする。福山に戻ってから連勝を重ね、3歳重賞の鞆の浦賞でユノエージェントに雪辱を果たし、全日本アラブグランプリでは2着に6馬身をつける快勝で3歳No.1を確立した。
4歳初戦は生涯勝つ事のできなかった福山大賞典でこのレースを3勝するユキノホマレに敗れるが、その後着実に勝利を重ね、アラブ最大級の重賞タマツバキ記念アラブ大賞典で各地の強豪を抑え、アラブNo.1の座を奪取する。また数少なくなった交流戦も果敢に参戦し、佐賀の西日本アラブ大賞典、金沢のセイユウ記念アラブグランプリも勝利し、当時のアラブ最強の座を確実のものとした。
5歳初戦は福山大賞典で1歳下のメイユウオライオンに抑えられる歯痒いスタートとなったが、ローゼンホーマ記念・福山桜花賞などの重賞を連勝し、続くタマツバキ記念アラブ大賞典を完勝といえる内容で二連覇を果たす。「もはやアラブに敵なし」そんな中、高知競馬のサラブレッドとの交流戦の話が持ちかかり、アラブ大賞典の翌月に福山にて高知競馬サラブレッド招待交流レースが開催された。高知勢は高齢のナイキアフリート、中堅クラスのフォーバイフォーなどお世辞にもレベルが高いとは言えない相手だったが、結局はスイグンの強さを見せつける結果に終わった。この後、中央競馬への挑戦も話題にはなったがスイグンは秋に備えて休養に入り、実現することはなかった。
順風満帆に見えたスイグンだったが、この休養中に尻尾が腐る病気にかかるトラブルが発生する。尻尾を短くして4ヶ月ぶりになんとか復帰はできたが、さらに過酷な斤量が苦しめる形となり、復帰初戦は惨敗ともいえる7着に沈む。しかしほぼ同じ条件の次走で2着に入り、完全復活も近いと誰しもが思った。年が明けて2006年、初春恒例の重賞レース福山大賞典でスイグンは1番人気に支持された。2年連続惜敗の雪辱、斤量苦からも開放され格好の復活舞台だったが結果は見せ場なく、ユキノホマレに1秒以上離される5着に終わった。このレースを最後に2006年1月26日に引退を発表し、栃木県那須塩原市にある騎手の養成学校・地方競馬教養センターで訓練馬として繋養される事となった。