スコットランド常識学派
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スコットランド常識学派(すこっとらんどじょうしきがくは、Scottish School of Common Sense)は、イギリス18世紀の思想傾向の一つ。主にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に衝撃を受けた人々によりなされた反論や応答を総称する。この学派の見解はトマス・リードに代表されるが、それ以前に一般民衆の常識に訴えるという手法はシャフツベリ伯によって試みられており、「極端な懐疑主義は行動への指針を失わせる」という理由で形而上学そのものを嫌悪するイギリス人の傾向はサミュエル・ジョンソンなどにも伺われる。
リードの後継者として『真理論』の著者、ジェームズ・ビーティと『常識に訴える』の著者、ジェームズ・オズワルドがあげられる。特に前者はジョージ3世に感銘を与え、この国王はキューの離宮に1冊とロンドンでも常に自分の手元に置くほど肩を入れ、年間200ポンドの年金をビーティに与えていた。『真理論』はたちまち数版を重ね、オランダ語・フランス語・ドイツ語に翻訳され、著者はオックスフォードや外国の大学から学位を与えられることになる。しかしその内容は、リードの知的能力を伴わず、腹立ち紛れの言葉を並べ、俗衆に形而上の微妙な問題の採決を訴えようとする企てであるにすぎない。
『真理論』の後書きでビーティは「現代人の思弁的形而上学ほど、唾棄すべきものはない」と述べており、その非難はデカルト、マルブランシュ、ジョン・ロック、バークリ、ヒュームなどをさすと考えられ、彼は自分が理解できない推論を罵り、「結果による推論」で論破したと信じる。たとえば、外部や物質の存在を否定するかに見えるバークリに対しては「絶壁から一歩前に踏み出してみろ」と挑戦し、1インチの物の観念は1インチであるというヒューム哲学の結論は、「千立方フィートの部屋にいながらテネリフ山のような百万立方フィートのものを詰めこむことができる」と主張するようなもので、まったく馬鹿げている、と。
また、オズワルドは論証によって神学問題を解決しようとするのは危険な試みであり、「神の存在は自明だ」と宣言することで理神論者たちのしつこい真理探求を押さえつけようとした。動物と違って人間精神は「一次的真理」を直接認識することができる、という仮定を哲学的な論証に仕上げることに彼は失敗した。無神論者は気違いに決まっており、病的な推論癖により哲学者は自分の仕掛けた罠にはまったのだ、というのが懐疑主義者や理神論者にオズワルドが投げつけた結論であり、これは哲学を無視する態度に他ならない。
スコットランド学派は、意識的推論に先立つ本能的判断の価値に注目する点では貢献があったが、一方、彼らは貧困や迷信や無知などを放置し、あるがままの世界を肯定し改善を望まない世間の心情に訴えた。俗受けしたものの、真剣な哲学の試みであるとは言えない。