スコット・ビガロー
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スコット・ビガロー(Scott Bigelow、1961年9月1日 - 2007年1月19日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州アッシュブリー出身のプロレスラー。身長195cm、体重160kg。そのレスラーとしてのキャリアにおいて、「クラッシャー・バンバン・ビガロ」、「バンバン・ビガロ」、「ビガロ」のリングネームで知られる。
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[編集] 経歴
プロレスラー養成所のモンスター・ファクトリーを経て、1985年12月にクラッシャー・ユーコフのリングネームでプロレスデビュー。1987年1月に新日本プロレスに、アントニオ猪木の新たなライバルとして、初来日。当初は養成所の主催者だった元プロレスラー「ラリー・シャープ」をマネージャー兼 乱入者としてつけていた。
スキンヘッドに刺青を入れ、炎をあしらった全身コスチュームで人気を集め、大柄な体型の割りに軽快な身のこなしで側転をするパフォーマンスで「動けるデブ」としてファンに認知された。 ニックネームは「刺青獣」
新日マット参戦中はクラッシャー・バンバン・ビガロのリングネームでビッグバン・ベイダーとタッグを組んで1992年3月にIWGPタッグ王座を獲得するなど活躍したが、次第に引き立て役にまわった。
その後、日本では全日本プロレス、WAR、FMW、アメリカではECW、WCWにも参戦した。
1996年には、総合格闘技の試合をキモと行い、「入れ墨対決」として話題を呼ぶが、ルールの違いなどもあり、本領発揮出来ずに敗れた。
40代を過ぎてからセミリタイア状態となり、弁当屋経営などに携わっていたが、2005年にバイク事故を起こし同乗の女性が意識不明の重体になるアクシデントに見舞われた。
2007年1月19日、フロリダの自宅で逝去。死因は公表されていない。45歳だった。
[編集] エピソード
- 非常にプロレスが上手い選手として知られ、大して技術のない相手でもそれなりの試合を作り上げてしまう実力があった。新日本においても北尾光司のデビュー戦、ソ連アマレス軍団の初戦の相手(vsサルマン・ハシミコフ)を務めている。WWEでも元NFLのスーパースター、ローレンス・テイラーを相手に試合を行う。本人も「俺はほうき相手でもプロレスができる」と豪語している。
- ポール・ヘイマンは学生時代からの友人である。
- 低予算の刑事アクションシリーズ「コブラキラー」の三作目で実に情けない死に方をする役で登場。
- 火事に巻き込まれた近所の子供を大火傷をおいながらも助ける(2000年7月)
[編集] リングネーム
スコット・ビガローが名乗った事があるリングネーム。
- クラッシャー・ユーコフ
- クラッシャー・バンバン・ビガロ
- バンバン・ビガロ
- ビガロ
[編集] 獲得タイトル
- IWGPタッグ王座
- WCW世界タッグ王座
- ECWヘビー級王座
[編集] 得意技
- ムーンサルトプレス
- ダイビング・ヘッドバット
- パワースラム
- グリーディング・プロム・アズベリーパーク
カテゴリ: 格闘技関連のスタブ項目 | アメリカ合衆国のプロレスラー | 新日本プロレス | 1961年生 | 2007年没