スティーヴ・モーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティーヴ・モーズ(Steve Morse, 1954年7月28日 - ) はアメリカ合衆国出身のロック・ギタリスト。
オハイオ州ハミルトン生まれ。ハイスクール時代に最初のバンド、デキシー・グリットを結成。その後マイアミ音楽大学にてクラシックとジャズ・ギターを学ぶ。クラスメートと共に1974年、デキシー・ドレックスというバンドを結成する。1975年、自主制作アルバム「グレート・スペクタキュラー」を発表し1978年にデビュー・アルバム「フリー・フォール」を発売する。
同バンドは1982年の「インダストリー・スタンダード」を最後に解散。1984年に自身のバンド、スティーヴ・モーズ・バンドを結成し、トリオとしての活動を開始する。1986年にはアメリカの有名なロック・バンド、カンサスに加入。アルバム2枚を残して同バンドを脱退する。この頃、音楽ビジネスにすっかり落胆していた彼は音楽業界から足を洗う決心をし、ごく短い間だがパイロットとして生計を立てていた。しかしレーナード・スキナードのライヴに飛び入りしたことがキッカケで音楽への情熱が再燃する。
1989年に初のソロ・アルバムをリリースし、感触を取り戻した彼は、デイヴ・ラルー、ヴァン・ロメインと共にスティーヴ・モーズ・バンドを再結成、1991年には新生スティーヴ・モーズ・バンドの第一弾アルバムを発表する。さらには同バンドと平行してデキシー・ドレッグスを再結成、ライヴ活動を中心にアルバムも何枚かリリースする。1994年、ディープ・パープルのギタリストとしての誘いが来る。ソロ活動を認める条件で同バンドへ加入。1995年、インドのボンベイ市に於いて公演を行い2日間で約10万人の観客を集めた。
1996年、ディープ・パープル加入第一弾となるアルバム「紫の証」を発表。現在もディープ・パープルのギタリストとして活動するかたわら、スティーヴ・モーズ・バンドやデキシー・ドレッグスでの活動も継続、さらにはオジー・オズボーンのカバー・バンド、リヴィング・ラウドへの参加など、まさに八面六臂の活躍である。
目次 |
[編集] ディスコグラフィー(ソロ、SMB名義)
[編集] オリジナルアルバム
- イントロダクション - THE INTRODUCTION (1984)
- スタンド・アップ - STAND UP (1985)
- ハイ・テンション・ワイヤーズ - HIGH TENSION WIRES (1989)
- サザン・スティール - SOUTHERN STEEL (1991)
- コースト・トゥ・コースト - COAST TO COAST (1992)
- ストラクチュラル・ダメージ - STRUCTURAL DAMAGE (1995)
- ストレスフェスト - STRESSFEST (1996)
- スプリット・ディシージョン - SPLIT DECISION (2002)
[編集] ハイブリッドカバーアルバム
- メジャー・インパクツ - MAJOR IMPACTS (2000)
- メジャー・インパクツ・パート2 - MAJOR IMPACTS 2 (2004)
[編集] コンピレーションアルバム
- PRIME CUTS (2005)
[編集] DVD
- SECTS, DREGS & ROCK 'N' ROLL (2002)
- LIVE IN BARDEN - BARDEN GERMANY MARCH 1990 (2005)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のギタリスト | オハイオ州の人物 | 1954年生