スーパースコープ (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スーパースコープ (SUPERSCOPE) は、1950年代にアメリカで開発されたワイドスクリーン映画の方式の一つである。また、この方式を開発したアメリカの企業、スーパースコープ社は東京通信工業(現ソニー)製テープレコーダー等の販売代理店業務を行ったり、スタンダード工業(後の日本マランツ)に資本参加するなど、日本の音響・映像機器産業の発展にも影響を与えた。
目次 |
[編集] スーパースコープ方式
ユダヤ系アメリカ人のジョセフ・タシンスキー (Joseph Tushinsky) 兄弟によって考案された方式。1954年のゲイリー・クーパー、バート・ランカスター主演『ヴェラクルス』(ロバート・アルドリッチ監督)が初の公開作品で、当初の画面サイズは縦横比1:2であったが、後に縦横比1:2.35の「スーパースコープ235」となる。ハリウッド黄金期における5大メジャースタジオの一つ、RKO社などで採用され「RKOスコープ」などとも呼ばれた。通常の35mm用レンズで撮影するため製作側の機材選定や手法の自由度が高い、一つの撮影画面からスコープ・サイズとスタンダード・サイズ(縦横比1:1.33 → 3:4)の両方の完成画面が得られる、シネマスコープ方式に比べ画面両端の歪みが少ないなどの利点があったが、ネガの上下方向をトリミングする事でワイド画面とするため実質的な記録面積が狭くなり画質が悪い、常に縦方向に余裕を残した「引き」のショットでの撮影をしなければならないなど欠点も多く、1957年にRKO社が倒産したことなどもありワイドスクリーン映画の規格としては短命に終わった。
- 日本では東映がワイド映画の配給を睨んで採用。なお、東映が製作した映画でスーパースコープ方式を用いた作品は5本程度と言われている。
- スーパースコープ235を改良した「スーパー35」方式が、映画作品のビデオ鑑賞が一般化した1980年代~1990年代の作品で多く用いられた。
[編集] スーパースコープ社
1957年、タシンスキー兄弟が東映にスーパースコープ・システムを納入するため来日。当時の日本は外貨の持ち出し制限がかかっており、納入したスーパースコープの代金をドルで持ち帰る事が出来ないため、代わりに東京通信工業(現ソニー)製のテープレコーダーを数百台持ち帰り、これをアメリカで販売することで利益としたという逸話がある。以降1970年代前半まで、テープレコーダー、マイクロホンを中心にソニー製品のアメリカでの販売代理店としての業務を行う。
1964年、資金難に陥った高級オーディオメーカー「マランツ・カンパニー」を創業者のソウル・バーナード・マランツから買収。トランジスタアンプの普及に合わせて積極拡大路線を取ったスーパースコープ社は低価格製品の拡充のため日本のメーカーに開発を依頼、スタンダード工業(後の日本マランツ)の試作機を採用すると、50%の資本参加をして子会社化しマランツ・カンパニーをハイエンド製品の少量生産メーカーから世界的な総合音響メーカーへ変貌させようとした。しかし拡大路線が裏目に出た1980年に極度の資金難に陥ったスーパースコープ社はアメリカ、カナダ以外の地域でのマランツ製品の製造・販売権及び海外資産、拠点(日本マランツも含む)をオランダのフィリップス社に売却した。
1987年にダイナスキャン社(現コブラエレクトロニクス)に買収されジョセフ・タシンスキーが辞任、1990年にはアメリカ、カナダにおけるマランツ製品の商標権・販売権もフィリップスに売却した。現在はハリウッドがあるカリフォルニア州を離れ、イリノイ州に本拠を置くスーパースコープ・テクノロジー社が様々な特殊再生機能を搭載した楽器練習用CDプレーヤーなどを開発販売している。