ダーラー・シコー
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ダーラー・シコー(Dara Shikoh,1615年 - 1658年9月9日)はムガル帝国の皇族。第5代皇帝シャー・ジャハーンの長男。別名にダーラー・シュコー、ワクール・シェイク。息子にスレイマン・シコー、スィピフル・シコーらがいる。祖父アクバルの思想を継いだ優れた学者であり、ウパニシャッドをサンスクリット語からペルシア語に訳させ『ウプネカット』を編纂するなどの業績を残した。1657年、病床の父シャー・ジャハーンから後継者に指名され全権を委ねられたが、その後起こった帝位継承争いサーモガルの戦いで父帝の支持を得たものの三弟アウラングゼーブに敗れ、1658年処刑のうえ市中ひきまわしにされ、斬首された首は父のもとに送られた。遺体はフマーユーン廟に葬られた。 なお、次男スィピフルはアウラングゼーブの娘と結婚している。
[編集] シャー・ジャハーンの皇子
- 長男:ダーラー・シコー(1615年 - 1658年)
- 次男:シャー・シュジャー(1616年 - 1661年?)
- 三男:アウラングゼーブ・アーラムギル(第6代皇帝、1618年 - 1707年)
- 四男:モラード・バクシュ(1624年 - 1661年?)
[編集] 関連事項
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