チュノム
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チュノム(Chữ Nôm, 字喃)はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字。字喃の「字」は、本来「宁+字」(U+21A38)[1]と書く。13世紀~19世紀に使われたが、それ以前にあったチワン語用の古壮字がチュノムの考案に関係している可能性が高い。
声調が6つあるベトナム語を表記するために、意味や音の似た漢字を偏や旁として組み合わせて形成される。例えば、数字の「3」は「ba」と発音されるので、音の近い「巴」を偏としてそれに意味を表す「三」を旁として組み合わせる。この文字は正確には、「瓩」の「瓦」の部分に「巴」が、「千」の部分に「三」がくる字形である。「畑」など、日本の国字と同じ字形のものもあるが、日本の国字は、字喃の影響を受けていないと考えられている。
支配層、知識階層が漢字漢文を使用していたのに対して、チュノムは民衆のものとされるが、実際の使用には漢字の知識が必要であったため、どちらかというと自文化意識の強い知識人たちのものであったと思われる。
歴史上では、陳朝を纂奪した胡季犛執政期間と、西山(タイソン)朝の阮恵(グェン・フエ)の時期に漢字・チュノム混じり表記のベトナム語が中央の公文書に制式言語として採用されている。地方においても、相当数の公文書が漢字・チュノム混じり表記のベトナム語で書かれていたと考えられ、阮朝の属国であったチャンパ(順城鎮:1694 - 1832)の王家文書(パリ・アジア協会所蔵)においてもチャム文字表記のチャム語文書と共に多数の漢字・チュノム混じり表記のベトナム語文書が存在する。
現在ベトナム語は、「クォック・グー(Quốc ngữ、国語)」と呼ばれるローマ字表記法によってのみ、表記されている。これは、17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが考案し、フランスの植民地化以降普及したものである。植民地期にはクォック・グーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、独立運動を推進した民族主義者はすべてクォック・グーによる自己形成を遂げたため、クォック・グーが独立後のベトナム語の正式な表記法となり、不便性と非効率性を理由に漢字やチュノムは排除されるに至った。