チョカン・ワリハーノフ
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チョカン・ワリハーノフ(ロシア語:Чокан Чингисович Валиханов, カザフ語:Шоқан (Мұхаммед Қанафия) Уәлиханов Шыңғысұлы, 1835年 - 1865年)は、帝政ロシアの学者、軍人、探検家。カザフ王族の出身。中央アジア諸民族の歴史・社会・文化研究に業績を残す。
ワリハーノフは18世紀後半にカザフ草原西部を支配した小ジュズの族長、アブライ・ハーンの曾孫にあたる。カザフ草原北部のクシュムルンで生まれ、オムスクのシベリア陸軍士官学校を卒業し、ロシア軍の将校となる。その後、彼は勤務のかたわらカザフ王族としての高い教養と西洋的な学問教育による科学的素養を活かして中央アジア諸民族の文化研究に努めた。彼はカザフ語、ウイグル語、キルギス語などテュルク系諸言語に通暁していたとされる。
ワリハーノフの主な学問的業績としては、カザフスタン・天山山脈西部・タリム盆地西部の踏査行、キルギス族の英雄叙事詩『マナス』の記録、タリム盆地の住民生活についての叙述と政治史研究などが挙げられる。
彼はロシア帝国の支配による中央アジアの平和と住民生活の向上を夢みていたが、1860年代のトルキスタン遠征に参加するなかで苛烈な征服戦争と異民族支配の実態を目の当たりにし、ほどなく失意のうちに世を去った。