ノート:ディートリヒ・ブクステフーデ
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[編集] 11月21日付編集について
11月21日付編集における主な修正点とその理由は次のとおりです。
- ブクステフーデの父親の名を「ハンス・イェンセン」から「ヨハネス」に修正しました。ブクステフーデは、1674年1月29日の亡き父の葬儀のために作曲した「悲歌(Klagelied)」BuxWV 76-2のタイトルページに、父の名を「Johannes Buxtehude」と記しています。一方、デンマークの資料に残る「Hans Jensen Buxtehude」と「Johannes Buxtehude」の関係については諸説があり、確定していないのが現状であると思います。
- リューベックの聖マリア教会における役職を「音楽監督兼オルガニスト」から「オルガニスト兼ヴェルクマイスター」に修正しました。ブクステフーデは、実際に音楽監督と呼ばれるに相応しい活躍をしましたが、正式に音楽監督という役職に就任したことはなく、今日台本が残されているアーベントムジーク(BuxWV 128, 134, 135)でも、オルガニストと記されているからです。
- BuxWV 1-114として分類される作品群を対する呼称を「教会カンタータ」から「宗教声楽曲」に修正しました。バッハにおける現代の用例にしたがって、「教会カンタータ」を独立した複数の楽章からなる宗教曲と定義したとして、このような定義に当てはまる楽曲(BuxWV 4, 19, 24, 29, 30, 33, 34, 35, 39, 46, 47, 48, 50, 51, 54, 55, 75, 77, 86, 112, 122)は数少ないからです。
--Gombert 2006年11月21日 (火) 14:31 (UTC)