デイビー・ジョーンズ
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デイビー・ジョーンズ (Davy Jones) |
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プロフィール | |
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本名: | デヴィッド・トーマス・ジョーンズ (David Thomas Jones) |
出生地: | , マンチェスター |
生年月日: | 1945年12月30日 |
現年齢: | 61歳 |
活動 | |
ジャンル: | 歌手 俳優 |
活動時期: | 1961年 - 現在 |
主な作品: | ザ・モンキーズ |
デイビー・ジョーンズ(Davy Jones)(1945年12月30日- )はイギリスマンチェスター出身の俳優・歌手。モンキーズのメンバーとして知られる。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] ザ・モンキーズ以前[1]
4人姉弟の末っ子として生まれる。幼少時教会の聖歌隊に参加、12歳の時に友人とコンゴ・ボーイズを結成しギターを担当。さまざまな悩みから14歳で学校を退学後、家出。3ヶ月後母の死でいったん家に戻ったものの、また再び家出。機械修理工をする傍ら体格が小さかった事もありマンチェスターのニューマーケット競馬場で見習い騎手の資格を取り騎手を目指す。しかし父の怪我の知らせを受けて家に戻り騎手の夢を諦める事になった。 1961年の夏、父親を養うために俳優養成所でアルバイトをするようになる。そこで舞台裏の仕事をしているうちに俳優に興味を持つようになった。この頃友人の勧めもありBBCのラジオ・ドラマオーディションを受け少年犯罪者役を演じる。これがきっかけとなりやはりBBCの「モーニング・ストーリー」に出演。 その後ミュージカル「ピーターパン」や1964年に「オリバー!」のアートフル・ドジャー役などのオーディションに合格してミュージカル・タレントとして第一歩を踏んだ。 「オリバー!」はアメリカでも公演される事になりアメリカに渡った彼は引き続きミュージカル「ピックウィック・ペーパー」にも出演することが決定。俳優としてのキャリアを築いていく。またこの頃コロムビア映画の子会社コルピックス・レコードのタレント・スカウトの目に止まりレコード歌手としてもデビューする事が決まった。
1965年ソロアルバム「David Jones」をリリース。また「ベン・ケーシー」などのドラマにゲスト出演した。また、ビートルズが初めてエド・サリヴァン・ショウに出演した回の「シンディング」に出演する。 1965年業界紙デイリー・ヴァラエティの告知を見てモンキーズのオーディションに参加。ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミス、ピーター・トークらと共にメンバーに選出された。
[編集] ザ・モンキーズ時代
元々メインとしていた活動が俳優であった彼はモンキーズのデビュー(1966年8月)まで楽器の習得とボーカルに時間を割く事が多かった。 デビュー後バンドとしてはボーカルを担当。モンキーズの楽曲は主にミッキー・ドレンツと彼がボーカルを担当しているがデイビー・ジョーンズがボーカルをとってヒットしたものには「自由になりたい」、「恋はちょっぴり」、「デイドリーム・ビリーバー」、「すてきなバレリ」などがある。 また同名番組では正真正銘のアイドル役。一目惚れで恋に落ちたり、女の子に追いかけ回されるエピソードも多い。 モンキーズはその強力なセールスプロモーションとテレビ番組の連動によりメガヒットを連発するが内部では制作サイドとの軋轢を抱え1968年にピーター・トークが、翌69年にはマイク・ネスミスが脱退してしまう。最後まで『モンキーズ』に残ったのは皮肉にも俳優出身のミッキー・ドレンツと彼であった。
[編集] ザ・モンキーズ後
モンキーズ解散後の71年、コルジェムスから移管されたベル・レコードよりソロアルバム「Davy Jones」をリリース。その後レコード会社はMGMへ移籍。また「ゆかいなブレディ家」に本人役で出演した。
1975年、ミッキー・ドレンツ、モンキーズの楽曲担当だったトミー・ボイスとボビー・ハートを加え「ドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハート」を結成。キャピトル・レコードと契約し、アルバム「素晴らしき門出」をリリース。翌1976年日本でも静岡、東京でコンサートを行った。
[編集] 1970年代後半~現在
その後活動拠点をイギリスに移しトーストというバンドを組んで活動。また俳優としてもミュージカル「The Point」に出演している。また80年に日本で起こったモンキーズのリバイバル・ブームにより日本限定シングルの発売、コンサートも行った。 80年代半ばからまたアメリカを拠点にする。86年にアメリカのリバイバルブームによりマイクを除く3人でモンキーズを再結成し全米ツアーを敢行した。その後節目毎に再結成してモンキーズとしての活動も行っている。 90年代以降はほぼ俳優とソロシンガーの活動を両立して行っている。なお現在も現役のパフォーマーである。
[編集] エピソード
- モンキーズ当時愛煙家であったがファンにローティーンが多いためタバコを吸っている写真は撮らせなかった。
- モンキーズ活動中の1968年10月にリンダ・ヘインズと結婚。彼の結婚はテレビ視聴率とレコードセールスに影響があることから1967年頃の交際から2年間伏せられていた。
- 2度の結婚で4女がいる。リンダ・ヘインズと(1968年~1975年迄)の間にタリア・エリザベス(1968)、セーラ・リー(1971)、アニタ・ポリンジャと(1981年~1996年迄)の間にジェシカ・リリアン(1981)、アナベル・シャーロット(1988)。
- 2002年に孫が誕生(セーラの息子ハリー)。
- デヴィッド・ボウイも本名がデビッド・ジョーンズであったため、デビューにあたり同じイギリス出身、歌手で混乱を招くことから芸名に変更した。
- ショウビズ界に入る大きなきっかけは「オリバー!」のミュージカルでのアートフル・ドジャー役であったが80年代後半以降フェイゲン役でも「オリバー!」のミュージカルに出演している。
- 10代の頃騎手見習いであったがその後正式に騎手の資格を取得。1996年に初勝利を収めた。
- 日本で80年代に発売されたシングル(「魔法でダンス」、「恋するデイビー」)の英作詞は湯川れい子
[編集] 音楽(デイビー・ジョーンズ名義)
[編集] アルバム
- David Jones(1964年)
- Davy Jones(1971年)
- The Point: Original Motion Picture Soundtrack(1977年)[2]
- (「Me and My Arrow」「Life Line」「Are you Sleeping」「Gottta Get Up」)
- Live in Japan(1981年)[3]
- The Brady Bunch Movie: Original Motion Picture Soundtrack(1995年)
- (「Girl」)
[編集] シングル
- Dream Girl / Take Me To The Paradise (1965年)
- This Bouquet / What Are Going To Do? (1965年)
- The Girl From Chelsea / Theme From A New Love (1965年)
- You Are A Lady(1972年)
- Rubberene(1973年)
- Happy Birthday Micky Mouse(1978年)
- 恋するデイビー(It's Now)(1981年)[3]
- 魔法でダンス(Dance,Gypsy)(1981年)[3]
- I'll Love You Forever(1984年)
[編集] 出演
[編集] テレビ
- ベン・ケーシー(1965年)
- ザ・モンキーズ(1966年)
- 33 1/3 per Monkee(1968年)
- ゆかいなブレディ家(1971年)
- ディスニーランド(1977年)
- 俺がハマーだ!(1988年)
- ボーイ・ミーツ・ワールド(1995年)
- サブリナ(2002年)
[編集] 映画
- ヘッド(1968年)
- Sexina: Popstar P.I.(2006年)
[編集] 書籍
- They Made A Monkee Out Of Me
- 自伝(1991年)
- Mutant Monkees Book
- 本人によるコンピュータグラフィック作品集
- Davy Jones: Daydream Believin' (ISBN 9780961861414)
- 自伝(2000年)
[編集] 関連項目
- モンキーズ
- ミッキー・ドレンツ
- マイク・ネスミス
- ピーター・トーク
- トミー・ボイス&ボビー・ハート
- ドレンツ・ジョーンズ・ボイス&ハート
- IMDb-The Internet Movie Database
[編集] 脚注
- ^ ザ・モンキーズ大全集 スクリーン4月号臨時増刊(1981年)p.27
「Monkey Solo Recordings」(AZ-5024)ライナーノーツ - ^ 日本では81年に「オブリオの不思議な旅」として発売
- ^ a b c 日本のみの発売