ナップ・ラジョイ
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ナポレオン・ラジョイ(Napoleon Lajoie,1874年9月5日 - 1959年2月7日)はアメリカ合衆国ロードアイランド州出身の元メジャーリーガー。右投げ右打ち。二塁手・一塁手。
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[編集] メジャー歴
フィリーズ(1896年-1900年)-アスレチックス(1901年-1902年)-ブロンコス・ナップス(クリーブランド・インディアンズ)(1902年-1914年)-アスレチックス(1915年-1916年)
フランス系カナダ人のラジョイは優雅で洗練されたプレーで、ファンのみならず選手からも尊敬される存在だった。二塁守備も堅実で広い守備範囲を誇った。
球聖タイ・カッブとは1905年から1916年まで同じアメリカン・リーグで鎬を削った。特に1910年の首位打者争いは有名で、最終日まで来てカッブが打率.385に対し、ラジョイは打率.376と9厘差。首位打者を確信したカッブは試合を欠場。しかし、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現 オリオールズ)戦のダブルヘッダーで9打数8安打(最終打率.384)、遊撃手の失策とされた1打がヒットになっていれば逆転で首位打者というところまで迫った。(1981年、スポーティング・ニューズ社により1910年のカッブの集計に誤りが指摘され、打率が.383に修正、シーズン打率は2位に後退した。しかしコミッショナー特別委員会は首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した唯一の選手となった。)
[編集] 通算成績
2480試合/3242安打/83本塁打/1599打点/380盗塁/打率.338
[編集] 主なタイトル
(1901年以降のみ)
- 首位打者:4回(1901年~1904年)
- 本塁打王:1回(1901年)
- 打点王:2回(1901年・1904年)
- 三冠王:1回(1901年)
- 野球殿堂入り(1937年)
[編集] メジャー記録
- シーズン最高打率 .426(1901年)
- ※但し1901年のアメリカンリーグは「ファウル・ストライク制」を採用しておらず、現代の記録との比較対象としない場合もある。