ニケフォロス1世 (エピロス専制公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニケフォロス1世・ドゥカス(Νικηφόρος Α' Δούκας , Nikephoros I Doukas, 1240年頃-1296年)は、エピロス専制侯国の専制公。ミカエル2世アンゲロス・コムネノスの子(在位1271年-1296年)。
1271年、父の死により即位する。しかし、父の庶子(即ちニケフォロスの異母弟)であったヨハネス1世ドゥーカスがこの継承に不満を持ってテッサリアにて独立した。ここにエピロス専制公国はエピロスとテッサリアの二派に分裂し、大きく衰退することとなった。
ニケフォロスは父ミカエルの政策を受け継いでコンスタンティノポリス政府に対抗し独立を維持する事に努めた。しかし既にコンスタンティノポリスへの従属は決定的であり、かつてのような対等な競合関係は見込めず、実質的な独自性を維持するにとどまった。彼は自らテオドロス2世ラスカリス帝の娘マリア、ミカエル8世パレオロゴス帝の姪アンナ・カンタクゼーネーと結婚し、息子トーマースの妻にはミカエル9世パレオロゴスの娘アンナを迎えた。更に弟デメトリオス-ミカエルはミカエル8世の娘と結婚してコンスタンティノポリス宮廷に迎えられており、エピロス宮廷はコンスタンティノポリスとの結びつきを強めていく事となった。
1296年、死去。
次代 |