ニセ「左翼」暴力集団
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ニセ「左翼」暴力集団(ニセさよくぼうりょくしゅうだん) 主に新左翼党派(あるいは毛沢東主義党派)を指す、特殊日本共産党用語。かつて、日本共産党およびコミンテルン系譜の各国の共産党が使用した「トロツキスト」あるいは「トロツキスト暴力集団」とほぼ同義と考えてよい。
1934年のソ連共産党政治局員だったキーロフの暗殺事件を「トロツキー一派の仕業」とでっち上げ、1936年に「大粛清」を開始したスターリンは、自らに反対する者、あるいは抹殺してしまいたい者に対して「トロツキスト」というレッテルを多用した。ここで言う「トロツキスト」とは「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」あるいは「革命派を装ったファシストの第五列」と定義されたが、実際は粛清された多くの者はトロツキーあるいはトロツキーが指導した「左翼反対派」の組織とは無関係であった。また、トロツキー派が実際に、ソ連国内で要人暗殺やテロを行ったことはなく、その計画すらなかった。むしろ、スターリンは、この「トロツキスト」のレッテルをもって、スペイン内戦時の非スターリニスト左翼活動家(主にアナルコ・サンディカリズムのCNT急進派、非トロツキスト政党POUM)を抹殺し、ソ連国外のトロツキー派活動家たちを潜入させた秘密警察やテロリストによって暗殺していく(1940年には、メキシコに亡命していたトロツキーをスペイン人テロリスト、レイモン・メルカデルを使って暗殺した)。
世界各国の共産党は、自ら以外の共産主義組織および共産主義者、あるいは指導部の指導に従わない党員、党を離れたものに対する蔑称としてスターリンの定義を踏襲して「トロツキスト」を多用してきた。その場合は、「階級敵の側に転じた裏切り者」「左翼を装った挑発者」「スパイ反革命(集団)」を意味していた。そのニュアンスは、キリスト教における「背教者」に近いといえるだろう。例としては、1950年に日本共産党内部で分裂した「所感派」と「国際派」はお互いに「トロツキスト」と罵り合っていた。あるいは60年安保闘争時の、決してトロツキーの思想の影響下にあったわけではなかった共産主義者同盟および全学連を「極左冒険主義のトロツキスト集団」と口をきわめて非難した。あるいは、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系=反スターリン主義」を標榜する革マル派、中核派、はてはレーニン主義すら否定する解放派まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。または口語では(新左翼党派構成員を指して)「トロ」と略されて、下部党員や民主青年同盟員の間では一般的に使用されていた。
80年代に入り、日本共産党もレフ・トロツキーの「ロシア革命への貢献」を一定認めるようになると、公式には新左翼党派を指す「トロツキスト暴力集団」は「ニセ『左翼』暴力集団」と呼称するようになる。文字通り「左翼を装った暴力集団」という意味だが、「議会革命」を標榜するようになってからの日本共産党は自らを「左翼」ではなく「革新」と自己定義してきたわけで、この「ニセ『左翼』暴力集団」という用語には、「左翼」という言葉・概念そのものを否定的かつ自らと無関係なものとして定義付けたい、という狙いも内包されているようだ(例えば、フランスでは「左翼=Gauche」は一般的な用語であり、フランス共産党も「左翼政党」と名乗っているので『赤旗』の報道でフランス情勢などに関して一般的な呼称として「左翼」を使用する場合にも、必ずカギカッコをつけている)。
現在、日本共産党が「ニセ『左翼』暴力集団」と名指しするのは、現在でも暴力的な活動を肯定・あるいは行っている中核派、革マル派、革労協各派で、現在は穏健な活動をしている第四インター系各派に対しては、「ニセ『左翼』集団」としている(口語で略するときには、前者は「暴力集団」、あるいは前後者一括りに「ニセサヨク」と呼んでいる)。
他に「ニセ『左翼』暴力集団」に類する用語としては「反党脱党者(グループ)」(「日中友好協会脱走派」など)や、共産党に批判的な市民運動に対する「反共市民運動」、「中国盲従反党集団」「毛沢東盲従集団」(毛沢東主義派)、「反党修正主義集団」(親ソ連派、構造改革派など)、「金日成盲従集団」(親朝鮮労働党派)などがあるが、これらの用語は現在ではほとんど使用されることはなくなった。