ノート:ニュー・ケインジアン
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2006年10月4日 (水) 19:33の版以降、「政府の裁量的な財政・金融政策を否定する点が、いわゆるオールド・ケインジアンとは異なり、新しい古典派(New classical economics)と一致している。」という記述が加えられていますが、それであればニュー・ケインジアンを新しい古典派と区別するいわれはなくなってしまいます。ニュー・ケインジアンのニュー・ケインジアンたるゆえんは、ケインズ経済学にミクロ的基礎を与えることで政府の裁量的な財政・金融政策を正当化することにあると思いますが、いかがでしょうか。ニュー・ケインジアンの論者の多くが裁量的財政・金融政策の濫用に批判的であることは確かだとは思いますが、政策の有効性そのものを否定しているというのは言い過ぎではないかと思います。--Impromptu 2006年10月13日 (金) 15:11 (UTC)
- それでは単なるオールド・ケインジアンと同じになってしまうんじゃないでしょうか。ルーカスの批判以降、「政策による期待の変化」に耐え得る理論を構築するために行われてきたのがミクロ的基礎付けなので。ニュー・ケインジアンの場合は、あくまでも「ルールに制約された裁量」であって、ただの裁量政策を肯定してる訳じゃ無いと思いますが。それに、ニュー・ケインジアンの多くは財政政策には否定的なのでは。もしこの説明で間違っている箇所があれば申し訳ありません。ただし、たしかに、誤解を避けるためにもう少し説明が必要ではないかとは思います。この書き込みは、221.171.138.1192006年10月22日 (日) 22:24 (UTC)によるものです。
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- もしかして、「裁量的」という言葉を「恣意的」という意味にとっていませんか?経済学において「裁量的」という言葉は、単に市場の事前の期待に従わない(と仮定される)政府・中央銀行の財政・金融政策を指します。そのような政策が発動された場合に「効果がある」かどうかを問題にするのが「裁量的」という言葉の意味であり、そのような政策を政府・中央銀行が無制限に取ることを「よしとする」(「恣意的」な政策を認める)かどうかはまた別の問題です。ニュー・ケインジアンは、「ミクロ的基礎を通じて裁量的財政・金融政策の効果は認めるが、それを恣意的に運用することには反対」という立場の人が多いと思います。その点ではおっしゃることに大きな間違いはないと思いますが、「ニュー・ケインジアンは裁量的な財政・金融政策を否定する」という表現は明らかに間違ったものであると考えます。--Impromptu 2006年10月28日 (土) 15:02 (UTC)