ヌワンコ・カヌ
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ヌワンコ・カヌ(Nwankwo Christian Kanu, 1976年8月1日 - )は、ナイジェリア・オウェリ出身の同国代表サッカー選手(FW)。
身長197cmの長身FW。高いレベルのテクニックと長い足を活かした独特のリズムで攻撃に変化をつけられる選手。
15歳のとき、所属していたフェド・ワークスで9得点を挙げる活躍をし頭角を表す。程なくしてオランダの名門クラブ・アヤックスに引き抜かれる。
1996年にインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍。その年の夏、アトランタオリンピック・男子サッカー競技にナイジェリア代表キャプテンとして出場し、見事金メダルを獲得。「スーパー・イーグルス」(ナイジェリア代表の愛称)の名を世界に知らしめた。
前途洋々かに見えたが、アトランタ五輪終了直後に心臓弁膜症を発症。一時は選手生命も危ぶまれたものの、手術・リハビリを乗り越え15ヶ月間の歳月を経て、1998年2月9日に復帰した。
1999年2月にアーセナルに移籍。アーセナルでのデビュー戦となったFAカップの対シェフィールド・ユナイテッド戦は物議を醸した。負傷した選手を気遣いライン外にボールが出された後、味方選手がスローインで紳士的に相手GKにボールを返そうとしたのだが、状況が把握できていなかったカヌーはこのボールを奪ってゴール前にセンタリングをあげ、マルク・オーフェルマルスが得点を決めてしまう。これが決勝点となっていったんは試合が成立したが、シェフィールドU側が抗議し、アーセナル側も試合直後から再試合を提案していたことから再試合が行われた(結果はやはり2対1でアーセナルの勝利)。
フォワードでありながら、ナイジェリア代表では守備的なポジションの選手が付ける事が多い背番号「4」を好んで付ける。
アーセナル在籍時になぜか日本のジェフユナイテッド市原に逆オファーをしたことがある。
[編集] 選手略歴
- 1991-92 フェド・ワークスに所属。
- 1992-93 イウアンヤンウに所属。
- 1993年 日本で開催されたFIFA U-17世界選手権で優勝。
- 1993-96 オランダのアヤックスに所属。94-95シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝も経験。
- 1996年 アトランタ五輪・男子サッカーで金メダルを獲得。
- 1996年 アフリカ年間最優秀選手 (CAF)受賞。
- 1996-98 イタリア・セリエAのインテルに所属。しかし心臓弁膜症の治療のためあまり活躍できず。
- 1998年 FAプレミアリーグのアーセナルに移籍(移籍金は約10億円)。
- 1999年 自身2度目のアフリカ年間最優秀選手 (CAF) に選ばれる。
- 2004年 プレミアリーグのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに移籍。
- 2006年 プレミアリーグのポーツマスに移籍。
[編集] 所属クラブ
- アヤックス(オランダ)1993-1996
- インテル・ミラノ(イタリア)1996-1998
- アーセナル(イングランド)1998-2004
- ウェストブロムウィッチ・アルビオン(イングランド)2004-2006
- ポーツマス(イングランド)2006-
ポーツマスFC - 2006-2007 |
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