ノーマン・チェレビジハン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノーマン・チェレビジハン(クリミア・タタール語:Numan Çelebi Cihan、ロシア語:Номан Челебиджихан、1885年-1918年)は、20世紀初頭のクリミア・タタール人の民族運動家、政治家。1917年のロシア革命時に、「クリミア民主共和国」の設立を宣言し、初代大統領に就任した。
目次 |
[編集] 経歴
チェレビジハンは、1885年にクリミア北部のブユク・ソナク村に父イブライムと母ジハンシャーの間に生まれた。初等教育を終えた後、ギュリュム・ベイ・メドレセに就学し、1908年にはイスタンブルのヴェファー・リセに留学する。イスタンブルでは、クリミアからの留学生が多く住むカラギュムリュク地区に滞在し、1910年に友人のアビブッラー・テミルジャンと共に「青年タタール人作家協会(Yaş Tatar Yazıcılar Cıyını)」を設立する。
イスタンブルでは、作家協会の他に「クリミア・タタール人学生協会」「祖国(Vatan)」といった組織を設立し、後に政治組織である「民族党(Milliy Fırqa)」を設立する。
イスタンブルでの留学後、クリミアに帰郷し、1917年のロシア革命を迎える。チェレビジハンは、オル郡の代表としてクルルタイのメンバーに選出され、1917年11月26日にシンフェロポリで開催されたクルルタイでは、共和国の首班として選出された。
しかし、1918年1月には、内戦を優勢に進めるボリシェヴィキがクリミアを掌握し、チェレビジハン以下共和国の指導部は逮捕され、民族政権は崩壊した。チェレビジハンは2月23日に処刑された。
政治家としての経歴だけでなく、タヴリダ・ムスリム宗務局のムフティーも務め、詩人、作家としても知られる。チェレビジハン作の詩「Ant Etkenmen」はクリミア・タタールの民族歌として広く歌われた。
[編集] 代表作
[編集] 著作
- Qarılğaçlar Duası
- Altın Yarıq
- Şiirler Cönkü
[編集] 詩
- Ant Etkenmen
- Bastırıq
- Ay gidi...
- Savlıqman Qal Tatarlıq!
- Yolcu Ğarip
- Tilkiden Selâm