ハセパーク
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド系種 |
生誕 | 1933年 |
死没 | 不明 |
父 | プライオリーパーク |
母 | ギーキング |
生産 | 盛田牧場 |
生国 | 日本(青森県) |
馬主 | 門倉恒雄 |
調教師 | 金者斤奉 |
競走成績 | 37戦8勝 |
ハセパーク(ヒキゾメ)は日本の競走馬。最初はヒキゾメという馬名で走っていたが、1936年秋季東京からハセパークに改名された。初勝利は翌年3月の中山のレースだった。この年は第1回帝室御賞典(秋)に出走するが、いいところが無く着外に敗れた。
その後、6歳春になってから急に力をつけ、第2回帝室御賞典(春)までに4勝をあげる。帝室御賞典ではヒサトモらを抑えて1番人気に支持される。レースは3コーナー過ぎから先頭に立ち、そのまま押し切るという横綱相撲で優勝した。騎手は調教師兼任の金者斤奉であった。
だが、次走の目黒記念6着後以降は尻すぼみの成績になり、8歳まで走り続けるがいい所が無かった。
血統は牝系に軽半種,サラブレッド系種,アングロアラブ(アラブ系種)を含んでいたので種牡馬としての価値は皆無に等しかった。引退後の消息は不明である。
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