ハーミット
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1864年 |
死没 | 1890年 |
父 | Newminster |
母 | Seclusion |
生産 | The Middle Park Stud |
生国 | イギリス |
馬主 | ヘンリー・チャップリン |
調教師 | Bloss |
競走成績 | 23戦8勝 |
ハーミット(Hermit、1864年 - 1890年)は、イギリスの競走馬・種牡馬。競走馬としてエプソムダービーに勝った他、種牡馬としても7度イギリスチャンピオンサイアーになるなど成功した。
ハーミットが勝ったダービーには1つのエピソードがある。ハーミットの馬主ヘンリー・チャップリンは、婚約者を結婚式直前にへスティング侯爵に奪われていた。へスティング侯爵はまた、ハーミットを勝てるわけがないと馬鹿にし、負ける方に全財産を賭けた。ハーミットはダービー前に鼻出血を起し、さらにスタートが遅れるなどトラブル続きでとても勝てそうになかったが、レース中盤タテナムコーナーでやる気を出すとハナ差で勝った。結果チャップリンは名誉と大金を得て、逆にへスティング侯爵は12万ポンドもの大金を失った。彼は翌年借金に苦しめられ「ハーミットのダービーに絶望した。なぜ…」の言葉を残し自殺した。
ハーミットが勝ったのはダービーの他にセントジェームズパレスステークスがある。ダービーの時は6月だというのに雪が降っていたうえ、都合10度もスタートがやり直され発走が1時間も遅れた。ハーミットは1週間前に鼻出血を起こしており勝つ見込みは薄いと思われ100対1の超人気薄だった。非常におとなしい馬で、種牡馬時代には馬主ヘンリー・チャップリンの幼い息子を背中に乗せてやっていたという。
[編集] 種牡馬として
ダービーの後は鳴かず飛ばずに終わったハーミットだったが、種牡馬として再び名声を得た。1880年から1886年の7年連続してイギリス種牡馬チャンピオンになったのである。だが、牝馬に活躍馬が集中した事、直後に現われたセントサイモンに対抗できなかった事により父系は瞬く間に衰えた。その後はフランスでヒュームがなお父系を伸ばすも、1992年に当時日本で供用されていたアスコットエイト、アスコットセブン兄弟が廃用されたことでサラブレッド競走馬としては完全に消滅した。だがそれでも競走馬としてのハーミットの父系はむしろ以前より拡大している。アメリカに渡ったフライアーズバルサンの末裔が突如としてクォーターホースとして成功し、史上最強のクォーターホースと呼ばれるダッシュフォーキャッシュを送り出した。現在競走用のクォーターホースの多くがダッシュフォーキャッシュの血を受けている。
[編集] 主な産駒
- テバイス(1000ギニー、オークス)
- セントマーガレット(1000ギニー)
- ショットオーバー(2000ギニー、ダービー。牝馬)
- ロンリー(オークス)
- サンブレーズ(ダービー)
- トリスタン
- ヒューム
[編集] 血統表
ハーミットの血統 (タッチストン系/Camel3×5=15.62% Selim5×5=6.25% Sultan4×5=9.38%(母内)) | |||
父
Newminster 1848年 黒鹿毛 |
Touchstone 1831年 栗毛 |
Camel | Whalebone |
Selim Mare | |||
Banter | Master Henry | ||
Boadicea | |||
Beeswing 1833年 鹿毛 |
Dr.Syntax | Paynator | |
Beningbrough Mare | |||
Ardrossan Mare | Ardrossan | ||
Lady Eliza | |||
母
Seclusion 1857年 黒鹿毛 |
Tadmor 1846年 黒鹿毛 |
Ion | Cain |
Margaret | |||
Palmyra | Sultan | ||
Hester | |||
Miss Sellon 1851年 黒鹿毛 |
Cowl | Bay Middleton | |
Crucifix | |||
Belle Dame | Belshazzar | ||
Ellen F-No.5-d |
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