パッサロヴィッツ条約
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パッサロヴィッツ条約(Treaty of Passarowitz)とは、1718年にパッサロヴィッツ(現・セルビアのポジャレヴァツ)で、オスマン帝国とオーストリアなどの間に結ばれた条約。パッサロヴィツ条約などとも表記される。
オスマン帝国は、1699年にカルロヴィッツ条約を受け入れて以来、徐々にオーストリアなどの軍事力に圧倒され、その領土を減少させていった。オーストリア軍のプリンツ・オイゲンらが活躍する中で、さらにオスマン帝国はパッサロヴィッツ条約を結び、ワラキア西部・セルビア北部・ボスニア北部などをオーストリアに割譲した。ただし、オスマン帝国が失地を重ね続けたわけではなく、1739年のベオグラード条約ではその領土の一部を回復させている。
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