フェルナンド・ゴンザレス
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フェルナンド・ゴンザレス |
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基本情報 |
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英語名 | Fernando González |
フルネーム | Fernando González Ciuffardi |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・サンティアゴ |
生年月日 | 1980年7月29日 |
身長 | 182cm |
体重 | 81kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1999年 |
ツアー通算 | 10勝 |
シングルス | 7勝 |
ダブルス | 3勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 準優勝(2007) |
全仏 | ベスト8(2003) |
全英 | ベスト8(2005) |
全米 | ベスト8(2002) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 5位 |
ダブルス | 25位 |
Template |
男子 テニス | ||
金 | 2004 | ダブルス |
銅 | 2004 | シングルス |
フェルナンド・ゴンザレス(Fernando González, 1980年7月29日 - )は、チリ・サンティアゴ出身の男子プロテニス選手。フルネームは Fernando Francisco González Ciuffardi (フェルナンド・フランシスコ・ゴンサーレス・シュファルディ)という。2007年の全豪オープン男子シングルス準優勝者になり、シングルス自己最高ランキングも5位に上昇した(2007年1月)。これまでにATPツアーでシングルス7勝、ダブルス3勝を挙げている。身長182cm、体重81kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
ジュニア時代に、1998年の全仏オープン男子ジュニア部門でファン・カルロス・フェレーロを破って優勝したことがある。1999年にプロ入り。2000年にフロリダ州オーランドの大会でツアー初優勝を飾った時は、決勝でニコラス・マスーと“チリ勢対決”を戦った。男子プロテニスツアーにおいて“チリ勢同士の決勝”が行われたのは、1982年以来18年ぶりだったという。2002年にツアーで年間2勝を記録し、全米オープンで初の4大大会準々決勝に進出した。この時は3回戦でフェレーロをストレートで圧倒したが、準々決勝でオランダのチャン・シャルケンに 7-6, 3-6, 3-6, 7-6, 6-7 のフルセットで敗れている。(4大大会では、全米オープンのみ最終セットでもタイブレークを採用する。)2003年の全仏オープンで2度目の4大大会8強進出を果たしたが、ジュニア時代からの宿敵フェレーロに 1-6, 6-3, 1-6, 7-5, 4-6 で敗れた。
2004年のアテネ五輪で、ゴンザレスはチリ代表選手として、ニコラス・マスーとペアを組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した。決勝の相手はドイツ代表のニコラス・キーファー&ライナー・シュットラー組で、試合は 6-2, 4-6, 3-6, 7-6, 6-4 のフルセットにもつれこんだ。シングルスでもベスト4まで勝ち進み、銅メダル決定戦(準決勝で敗れた選手2人の対戦)でアメリカ代表のテーラー・デントに 6-4, 2-6, 16-14 で勝ち、男子シングルスの銅メダルも獲得した。こうしてゴンザレスは、マスーと並んでチリの国民的英雄になった。
2005年にゴンザレスは男子ツアーで年間3勝を挙げ、芝生のウィンブルドンで初のベスト8に入ったが、準々決勝でロジャー・フェデラーに 5-7, 2-6, 6-7 で敗退した。ダブルスでも全仏オープンでマスーとペアを組み、準決勝まで進出している。2007年の全豪オープンで、ゴンザレスはついに初の4大大会決勝進出を果たす。3回戦でレイトン・ヒューイット、4回戦でジェームズ・ブレーク、準々決勝でラファエル・ナダル、準決勝でトミー・ハースを破って勝ち進んだゴンザレスは、初進出の決勝で過去9戦全敗だった第1シードのロジャー・フェデラーに 6-7, 4-6, 4-6 で敗れて準優勝に終わった。チリの男子テニス選手が4大大会決勝に進出したのは、1998年全豪オープンの準優勝者マルセロ・リオス以来9年ぶりであった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フェルナンド・ゴンザレス - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表