ブルー・マーダー
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ブルー・マーダー (Blue Murder)は、1987年5月に結成されたハードロック・バンド。
ホワイトスネイクに在籍していたジョン・サイクスを中心に、同じく元ホワイトスネイクのコージー・パウエル、そしてトニー・フランクリンというラインナップで始動。ボーカルとして当初トニー・マーティンが参加するもブラック・サバスへ加入してしまったため、代わりにレイ・ギランが加入。4人体制で曲作りやデモ作りを行うが、今度はギランがマネージメントの意向により解雇。その後キング・コブラのマーク・フリー、トライアンフのリック・エメットと二転三転するが、パウエルがそのやり方に疑念を抱き、後任のボーカルが見つからないこともあってバンドに業を煮やし脱退してしまう。結局ボーカルはサイクス自身が取り、後任ドラマーとしてカーマイン・アピスが加入。ここにサイクス+フランクリン+アピスのトリオ編成が確定する。
こうしてバンドは1989年にアルバム『ブルー・マーダー』でデビューを飾る。リーダーであるサイクスは、800万枚を売り上げ、×8プラチナムとなったアルバム『サーペンス・アルバス』の立役者であり、そのサウンドを継ぐアルバムとしてレコード会社は多大な期待を寄せた。しかしツアーは盛況であったものの、アルバムは期待に程遠い売り上げとなってしまう(米69位、英45位)。
ツアー後、次作へ向けてレコーディングを行うが、いつまでもアルバムは完成せず、バンドに限界を感じたアピスとフランクリンは1992年に脱退。新たにマルコ・メンドーサ、トミー・オスティーンが加入する(一時期アンダース・ヨハンソンもいたという。さらにボーカル/サイドギターとしてケリー・キーリングの名も一時連なっていた)。そしてアルバム『ナッシング・バット・トラブル』を発売。しかし日本でオリコン6位まで上昇した他は大きなリアクションもなく、イギリスでの短いプロモーションと日本でのライブをもってバンドを解散させる。その後はメンバーはそのままにサイクスのソロ・プロジェクト『サイクス』へ移行していった。
しかし2004年初頭、ブルー・マーダー来日公演がアナウンスされ、オリジナル・ラインナップでの再結成実現がにわかに期待された。しかしメンバー自身がブルー・マーダー名義であることを知らされておらず、単なるツアー成功のための仕込みであったことが判明する。このツアーの模様はジョン・サイクス名義でライブ・アルバム『バッド・ボーイズ・ライヴ!』として発表された。
[編集] ラインナップ
- 1989年~1992年
- 1993年~1994年
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- ジョン・サイクス John Sykes - ギター、ボーカル
- マルコ・メンドーサ Marco Mendoza - ベース
- トミー・オスティーン Tommy O'steen - ドラム
- ニック・グリーン Nick Green - キーボード
- 2004年
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- ジョン・サイクス John Sykes - ギター、ボーカル
- マルコ・メンドーサ Marco Mendoza - ベース
- トミー・アルドリッジ Tommy Aldredge - ドラム
- デレク・シェリニアン Derek Sherinian - キーボード
[編集] ディスコグラフィ
- ブルー・マーダー Blue Murder (1989年)
- ナッシング・バット・トラブル Nothin' But Trouble (1993年)
- スクリーミング・ブルー・マーダー~フィルに捧ぐ Screaming Blue Murder (1994年)
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