ボレスワフ5世
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ボレスワフ5世(Bolesław V Wstydliwy, 1226年6月21日 - 1279年12月7日)はポーランド王国ピャスト朝の国王(在位:1243年 - 1279年)。レシェック1世の子。
ポーランドのクラクフ侯であったが、父のレシェック1世と同様に統率力も無く暗愚だったため、父の死後、王位を継ぐことはできず、ヘンリク1世、ヘンリク2世父子の傀儡のような存在であったと言われている。
1241年3月、バトゥ率いるモンゴル軍が侵攻してくると、これと戦ったが大敗を喫し、クラクフを放棄して逃亡した。1259年にもモンゴル軍がポーランドに侵攻してくると、ボレスワフ5世はこれを迎撃したがまたも大敗を喫してハンガリーに亡命する。そしてその結果、ポーランドはモンゴル軍によって荒らされ、国土は荒廃してしまった。
晩年はモンゴル軍に荒らされた国土の復興に全力を尽くしたが、嗣子に恵まれずして1279年、54歳で死去した。
なお、ボレスワフ5世は2度もモンゴル軍に大敗を喫して逃亡したことから、『恥辱公』と仇名された。
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