ポカホンタス (競走馬)
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![]() 左の馬、寄り添う仔馬はストックウェル |
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1837年 |
死没 | 1870年 |
父 | グレンコー |
母 | マルペッサ |
生産 | ウィリアム4世 |
生国 | イギリス |
馬主 | 第11代エクセター卿 |
調教師 | - |
競走成績 | 9戦0勝 |
獲得賞金 | 不明 |
ポカホンタス(Pocahontas、1837年 - 1870年)は、イギリスの競走馬・繁殖牝馬。「繁殖牝馬の皇后」と呼ばれ優秀な産駒達を通じてサラブレッドに大きな影響を残した。馬名の由来はアメリカ先住民の女性ポカホンタスより。
[編集] 生涯
ポカホンタスは父グレンコーがアメリカに輸出される前に残した唯一の傑作で、史上最も偉大な繁殖牝馬として知られている。現役時代は初の牝馬クラシック三冠馬(変則)クルシフィックスと同期で、実際に同じレースを走ったこともあったが、激しい気性のせいか競走成績は遙か及ばず、オークス(4着)、グッドウッドカップ(5着)に挑戦するも9戦して未勝利に終わっている。
5歳時に引退して繁殖牝馬になったが当初は活躍馬を出せず、初子、2番仔とも未勝利に終わった。その後の仔もドリーバーデンが1勝を挙げるも芳しくない成績が続いていたが、1849年に5番仔として生まれたストックウェルは大活躍を見せ、1852年に二冠を制し、種牡馬としても計7度のイギリスリーディングサイアーに輝いた。
翌年その全弟として生まれたラタプランも名馬となり、タフに走って42勝、種牡馬としても成功した。さらにその翌年1851年に生まれたキングトムはエプソムダービーで2着になり、種牡馬としても2度リーディングサイアーになった。その後の産駒もまずまずの活躍を見せ11頭が勝ち上がり、25歳の時15頭目の産駒を生んだ後、33歳で死亡したという。(英語版に産駒のリストがあるのでそちらも参照されたい。)
[編集] 影響
ポカホンタスの影響力は後のヴュイエ大佐の研究によれば、19世紀のサラブレッドの中でもセントサイモン、ガロピン、タッチストン、ストックウェルに次ぐ影響力を残したという結果が出ている。牡馬が生涯で数百頭もの産駒を残せるのに対し、牝馬は多くても十数頭の産駒を残すのが精一杯なのでこの影響力は驚異的であるといえる。
[編集] 血統表
ポカホンタスの血統 (ヘロド系/Whiskey4×4=12.50%(母内)他)(牝系の面からは3-n族の祖) | |||
父
Glencoe 1831 栗毛 |
Sultan 1816 鹿 |
Selim 1802 |
Buzzard |
Alexander Mare | |||
Bacchante 1809 |
Williamson's Ditto | ||
Mercury Mare | |||
Trampoline 1825 |
Tramp 1810 |
Dick Andrews | |
Gohanna Mare | |||
Web 1808 鹿 |
Waxy | ||
Penelope | |||
母
Marpessa 1830 |
Muley 1810 鹿 |
Orville 1799 鹿 |
Beningbrough |
Evelina | |||
Eleanor 1798 |
Whiskey | ||
Y.Giantess | |||
Clare 1824 |
Marmion 1806 |
Whiskey | |
Y.Noisette | |||
Harpalice 1814 |
Gohanna | ||
Amazon F-No.3-m |
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