ポール・ガスコイン
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ポール・ガスコイン(Paul John Gascoigne、1967年5月27日 - )は、イギリス・ゲイツヘッド出身の元イングランド代表サッカー選手(MF)。
愛称は「ガッザ」。1984年にニューカッスル・ユナイテッドに入団。軽快なパスワークなどで得点をアシストし、1988年にはトッテナムへ移籍。1989年には代表に招集される。1990年のイタリアW杯では6試合に先発出場し活躍する。準決勝、西ドイツ戦での涙を流すシーンは名場面であった。
その後右膝の故障で活躍も影を潜めていたが、1992年にはセリエA・ラツィオへ移籍し復活する。シニョーリとのコンビは美女と野獣と呼ばれた。
代表でも、体調面での心配が囁かれたがEURO1996で鮮やかなプレーを連発し、完全復活を印象付けた。いわゆるオーソドックスなプレーをする選手が多いイングランド代表の中では異色の存在であり、スキル・発想力の溢れたプレーを随所に見せた。スコットランド戦の素晴らしいゴールは未だ色褪せないパフォーマンスである。
しかし、無類の酒好きで問題をしばしば起こし、1998年のフランスW杯で代表を外されて以降、下降線をたどり2003年には中国のサッカークラブに移籍したが生活環境に馴染めずすぐに退団。イングランドの下部リーグへ在籍した後、現役を引退した。
2005年10月から下部リーグの古豪・ケタリング・タウンの監督に就任し、指導者としての再起を図るも同年12月、飲酒によるトラブルにより解任される。
2006年11月、ナイトスポットで騒ぎを起こし傷害容疑で逮捕された。
[編集] プレースタイル
正確なパスを始め、技巧的なドリブル、強烈なシュートと、理想的なMFだった。
[編集] 選手経歴
- ニューカッスル・ユナイテッド(イングランド) 1984-1988
- トッテナム(イングランド) 1988-1992
- ラツィオ(イタリア) 1992-1995
- レンジャーズ(スコットランド) 1995-1998
- ミドルスブラ(イングランド) 1998-2000
- エバートン(イングランド) 2000-2001
- バーンリー(イングランド) 2001-2002
- 甘粛天馬(中国) 2003
- ボストン・ユナイテッド(イングランド) 2003
[編集] 監督経歴
- ケタリング・タウン:監督 2005.10-2005.12