マイケル・マン (映画監督)
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マイケル・マン(Michael Mann,1943年2月5日 - )はアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。ウィスコンシン大学で学んだ後、ロンドン・インターナショナル・フィルム・スクールへ留学し、テレビ局のドキュメンタリーを手がける。アメリカに帰国後、テレビドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」などの脚本や監督を手がけ、1981年に映画監督としてデビューした。
しかし、スタイリッシュな映像とキメキメの演出こそ現在と変わらぬ冴えがあったものの、当初は脚本部分が甘く作品的にも興行的にも失敗し、1984年、TVシリーズ『マイアミ・バイス』を製作し大成功を収めるが、映画監督として一流扱いを受けるようになるには1992年の『ラスト・オブ・モヒカン』まで待たねばならなかった。
サム・ペキンパーのように男臭い映画を撮ることで有名。また、ペキンバーと似て女性を描くのが下手である。しかしながら、そのダンディズムや哀愁、渋さを徹底した作品は評価が高い。しかし、それ以上にガンアクションの演出に高い評価を得ており、『ヒート』での銃撃戦はペキンバー最高傑作の『ワイルドバンチ』ラストの大虐殺、別名「死の舞踏」に匹敵するとまで評された。生の銃声をわざわざ録音して映画に使用、銃痕にまでリアリティを追求する。
ハリケーン・カトリーナがアメリカを襲った際、マンはマイアミ・バイスのリバイバル版『マイアミ・バイス』を撮影中だったが、ハリケーンの影響でセットに被害が出て、当初の予定よりも制作費が膨れ上がり、2億ドルもかかってしまった。
[編集] 主な監督作品
- ジェリコ・マイル/獄中のランナー The Jericho Mile (1979年)
- TV映画。エミー賞を3つ受賞。日本でも深夜枠で放送された。
- ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー Thief (1981年)
- スタイリッシュな映像、タンジェリン・ドリームの音楽、歌手のウィリー・ネルソンの出演など、多くの点で『マイアミ・バイス』の原型とされる。
- 技術顧問として本物の元金庫破りを雇った。
- 軍事評論家の床井雅美は(『ダーティハリー2』の先例に触れつつも)コンバット・シューティングを本格的に取り入れた最初の映画だとした。
- ザ・キープ The Keep (1983年)
- 原作者F・ポール・ウィルソンは原作とは全く別物にされたことに公に不満を表明した。その後、小説家が自作を映画化した監督を殺す短編"Silver Screen"を書いた。
- 刑事グラハム/凍りついた欲望 Manhunter (1986年)
- ラスト・オブ・モヒカン The Last of the Mohicans (1992年)
- 劇場用映画としては初めて大きな商業的成功となった。
- ヒート Heat (1995年)
- インサイダー The Insider (1999年)
- ALI アリ Ali (2001年)
- コラテラル Collateral (2004年)
- マイアミ・バイス MIAMI VICE (2006年)
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