マツダ・757
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マツダ・757は、1986年ル・マン24時間レース、および全日本耐久選手権参戦用にマツダスピードが開発したプロトタイプレーシングカーである。マツダ初の3ローター・エンジンRE13G(後20Bと改称。654cc×3)を搭載。シャシーデザインはナイジェル・ストラウド。ボディデザインは三村健治。
前年までの717C~737Cの2ローターのC2マシンから、上のクラスにステップアップを目指し開発され、1985年末にシェイクダウンした。当初はC1へのステップアップを考えていたが、3ローターでも450馬力と依然600馬力と言われるターボ勢には不利なこと、C1の最低車重850kgより更なる軽量化の余地が残されていたたため、より最低車重の低いIMSA-GTP規定でレースに参戦することとなる。世界耐久選手権(WEC)/ル・マンにIMSA-GTPクラスが設けられたのは、本来アメリカIMSAで活躍するマシン/チームの参加を促すためであったが、以降ル・マンにおけるIMSA-GTPクラスは事実上マツダ専用とも言えるカテゴリーとなって行く。
デビュー戦は1986年全日本耐久第1戦鈴鹿500kmで6位完走。次戦富士1000kmには参加せず、前年までと同様WEC第2戦シルバーストン1000kmに参戦、13位で完走する。WEC第3戦ル・マンでは、同じ日本のトヨタ・日産を上回るペースで周回を重ねたが、ドライブシャフト毀損等で2台ともリタイヤに終る。全日本耐久後半戦では安定して完走を続け、最終戦富士500kmでは4位に入賞している。
翌1987年も、マツダスピードはニューマシンを開発せず、757を熟成して参戦。開幕戦鈴鹿500km・5位、第2戦富士1000km・4位と抜群の安定を誇るようになり、3ローター・2年目となるル・マンでは日本車初のシングル入賞となる7位完走を遂げる。 帰国後も富士500マイルを6位、鈴鹿1000kmを5位と安定して完走し、WEC-JAPANではル・マン同様国産車最上位の7位に入賞する。最終戦富士500kmでも5位完走。このレースでは翌年以降本格投入される4ローターエンジンを、757のホイールベースを延長して搭載した757Eも試験参戦した。
1988年には4ローターエンジン専用シャシー767が投入され、757はル・マンが最後のレースとなったが、トラブルで後退した767を上回る15位で完走している。マツダスピードとしてはこの年のル・マンが最後になったが、その後も静マツレーシング、カタヤマレーシングに放出され1990年までプライベート参戦を続けることとなる。