マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア
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マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア(Maria Leopoldina de Áustria, 1797年1月22日 - 1826年12月11日)は、ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后。神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)の次女。ドイツ語名はマリア・レオポルディーネ・ヨーゼファ・カロリーネ・フォン・エスターライヒ(Maria Leopoldine Josepha Caroline von Österreich)。
[編集] 生涯
1817年、ブラジルの豊富な資源がもたらす利権に目をつけたメッテルニヒの画策により、当時ナポレオンに追われブラジルに宮廷を置いていたポルトガル王家のドン・ペドロ王子と結婚(ブラジル独立後、ドン・ペドロはブラジル初代皇帝となる)。政治的手腕を発揮し、ブラジルの王権樹立と独立に力を尽くす。その一方で粗野な夫の浮気と暴力に悩まされ続けた。
1826年、腰痛と流産から高熱にうなされ死去。
[編集] 人物
- ブラジルで女性君主として生前から国民の支持を集めた。現在も国民の巡礼地において聖女として崇められ、「国家の母」「独立の祖」「国民の守護天使」と称賛されている。
- 自然科学に造詣が深く、畜牛の研究なども熱心に行った。現在のブラジルの畜産業の礎を築いたとされる。