マルグリット・ド・ブルゴーニュ
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マルグリット・ド・ブルゴーニュ (Marguerite de Bourgogne, 1290年 - 1315年8月15日)は、フランス王ルイ10世の王妃。カペー家分家のブルゴーニュ公ロベール2世とフランス王女アニェス(ルイ9世と王妃マルグリットの娘)の娘。
1305年、従兄で当時ナバラ王となっていたルイと結婚。1314年には2人はフランス王および王妃にもなった。
1312年頃から、セーヌ河畔の通称「ネールの塔」で、夫の不在時に学生や騎士たちを連れ込み、不貞をはたらくようになった。夫の兄弟の妻たち、ジャンヌとブランシュの姉妹も誘って浮気を楽しんだ。夫も宮廷もこの大胆な行為に長く気づかなかったが、1314年にルイの妹、イングランドからエドワード2世妃イザベルが一時帰国したことから、事態が変わった。
当時、夫エドワードの同性愛嗜好と不実に不幸な結婚生活を送っていたイザベルは、自分の反エドワードの活動を支援するよう頼みに来たのだった。義理の姉妹たちが宮廷を抜けてどこかへ出かけていくのを、イザベルは敏感にかぎつけた。
イザベルの密告により、不貞の顛末が明らかになると、ことは宮廷を揺るがす大醜聞となった。マルグリットはガイヤール城へすぐさま幽閉された。事件のショックでフィリップ4世が亡くなり、夫がルイ10世として即位するものの、彼女はそのまま幽閉された。
ルイとマルグリットには1311年生まれの一女ジャンヌがいたが、彼女が嫡出かどうかが強く疑われた。この疑惑はジャンヌに生涯つきまとった。ジャンヌは少なくともルイ9世の血を引くことは確かではあったが、サリカ法を根拠にフランス王位継承者からははずされ、ナバラ王位のみを継承した。
1315年、幽閉先で死去した。20代半ばでの死であり、夫によって毒殺されたと噂された。