マルボルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルボルク城(ドイツ語:Ordensburg Marienburg、ポーランド語:Zamek w Malborku)は、ポーランドのマルボルクにある城。1997年12月に「マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界文化遺産に登録された。グダンスクの南東約50㎞、ヴィスワ川の畔にある。
[編集] 歴史
14世紀初頭、バルト海一帯にドイツ騎士団が勢力を拡大したことにより、ポーランドは次第に危機にあえぐようになった。そのため、15世紀にはいると同様に脅威を受けていたリトアニアとポーランドの連合軍がポーランド中北部でドイツ騎士団と戦うこととなった。
その際、騎士団側の防衛の要となったのがマルボルク城(マリエンブルク城)であり、1274年に建設された。この戦いではポーランドとリトアニアの連合軍が大勝し、ドイツ騎士団領はポーランド王の支配化に入った。
マルボルク城は、第二次世界大戦中にほとんどが破壊され、マルボルクが属していた東プロイセン南部もドイツ領からポーランド領になったが、戦後ポーランド政府により元通りに修復されている。
コペルニクスもこの城を1501年に訪れたとのことで、城の内部の壁にはコペルニクスのレリーフも残されている。
高城は、団長の宮殿であり、ここには60人の高官が居住していたと言われ、中城と低城には800人の兵士がいたと伝えられている。 高城の中庭には、井戸があり上屋のてっぺんにはペリカンの像が取り付けられている。 ペリカンは、「食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与える」と言われ、このことを騎士達に示したものと言われた。
[編集] 外部リンク
- マルボルクのドイツ騎士団の城 - ユネスコの世界遺産のページ(英語)
- 観光案内 - マルボルク市のサイト(英語など)