ノート:ミシェル・ノストラダムス師の予言集
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細かい点ですが
- M.Michel NostradamusのMは、とりあえずMaistre(Maître)の略とみなし、「師」と訳しています。
- 現代フランス語の場合、Mはムッシュー Monsieurの略であって、MaîtreはMe.と略すということはもちろん知っていますが、以下の理由からMaîtreとみなして差し支えないと判断しました。(1)ノストラダムスの同時代の著作で、略されていない場合の敬称はすべてMaistreが使われていて、Monsieur Michel Nostradamusは一例もない。(2)後代の予言集ではM.がMe.やMaistreに差し替えられているケースが少なからずあり、ごく普通にMaistreの略とみなされている。(3)16世紀仏文学が専攻の高田勇・伊藤進両氏の訳でも「ミシェル・ノストラダムス師」と訳出されている。
- リヨンで出された『予言集』のタイトルについて
- 厳密に言えば、リヨンでは1555~1698年の間に30種類以上の『予言集』が出されていますがその中で一つだけ『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇と予言』になっているものがあります(1690年頃のアントワーヌ・ベッソンによる版)。ただ、これは様々な点でリヨンの版としては特異なものであることから、例外として、本文中のリストでは除外して考えています
- 第一序文の日付
- 多くの版では「1555年3月1日」ですが、1588-89年にルーアンで出された版や1590年アントウェルペン版では「1555年6月22日」、1588-89年にパリで出された版では「1557年3月1日」となっています。各版で文面が大きく異なるわけではないので、ここで1555年5月4日に出たリヨン版の表記がもともとの表記であると判断し、異説は本文に盛り込みませんでした。
- 1605年版の正当性
- ダニエル・ルソ(この人はペルー人なのでスペイン語式に表記しています)は、この版が1649年頃に出された偽年代版とよく似た表紙であることから、1649年ごろに出されたと推測しています。
- しかし、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラ(ベナズラ)は反マザランの詩がないことなどを根拠に、正しく1605年に刊行されたようだと述べています。さらにブナズラは、六行詩の中で草稿になかった4篇のうち3篇に、1604年または1605年を表している数字が出ていることから、それらの詩は明らかに1605年に書かれたと述べています。こうしたことを理由に、とりあえず本文では1605年版は正しく1605年に出されたものとして述べています。
Sumaru 2005年5月4日 (水) 10:40 (UTC) 誤記修正Sumaru 2005年7月2日 (土) 10:57 (UTC)
[編集] 諸世紀
諸世紀が誤訳なのは、Centurie に世紀の意味がないからではなくて、彼の詩集の場合は詩篇の数から命名されていて、世紀単位で編まれているわけではないから、だと思います(世紀単位になっているとする信奉者はいますが、彼らの独善的な解釈以外に傍証は存在しません)。その部分をコメント・アウトしたのは、そういう理由です。Sumaru 2006年4月2日 (日) 10:21 (UTC)
[編集] 詩の例
詩の解釈例が必要かどうかは悩みましたが、他国語版のいくつかに見られるため、付け加えました。不要だという意見が出てくることも想定できますが、その場合は議論に応じます。
他の例を付け加えていただくのはもちろん構わないのですが、著作権をめぐる問題を避けるため、原文は古版本を元にご自分で直訳してください(古版本の原文は本文の外部リンク先等を御参照下さい)。信奉者の訳は解釈が混じっていたりするため(ひどい場合には原文にない言葉を付け加えていることもあります)、そのまま引用すると訳者の著作権を侵害するおそれがある上、正確性や中立性の面でも問題が生じる可能性があります。御注意ください。--Sumaru 2006年11月6日 (月) 13:57 (UTC)
[編集] 『諸世紀』は名訳か
この点、過去にノストラダムスの方に加筆されたこともあるので。
五島氏が『ノストラダムスの大予言・最終解答編』で述べていた『諸世紀』と訳した理由については、既に志水一夫氏や山本弘氏が、過去の五島氏の主張とも矛盾していることや、弁明の中に論理的におかしな部分があることを指摘しています。
である以上、彼の創作の可能性の高い主張を真に受ける信奉者がいたところで、それをわざわざこの記事やノストラダムスの中に書く必要性があるとは思えません。
仮に書くのであれば、『ノストラダムスの大予言』か、その褒めた某信奉者の記事の中にでも書くほうが妥当だろうと思います。とはいえ、個人的にはそうまでして書く価値のある話だとは思えません。--Sumaru 2007年2月8日 (木) 13:05 (UTC)