ミール・カマルディン
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ミール・カマルッディーン(アサフ・ジャー1世、ニザーム1世。1671年8月11日-1748年5月22日)は、ムガル帝国に将軍として仕え、後にニザーム藩王国(ハイデラバード藩王国)の初代藩王となった人物。
20歳の時にアウラングゼーブ帝より、チン・キリック・カーンの称号を贈られ、ビジャープルの統治権を与えられた。彼の父は、アウラングゼーブ帝没後の王位継承において、全身全霊をもってファッルフシヤル帝を支えたトゥーラーニー家の総領であった。ミール・カマルッディーンは、父の没後その地位を継承した。ファッルフシヤル帝は即位後、ミール・カマルッディーンをデカン地域総督に任命し、ニザーム・アル・ムルク(王国を取り仕切る者)の称号を与えた。しかし、すぐにミール・カマルッディーンはデリーに呼び戻されてしまい、帝都での心そまない生活を余儀なくされた。ファッルフシヤル帝没後(1719年)、帝位を継承したムガル皇帝ムハンマド・シャーも、ミール・カマルッディーンにアサフ・ジャーの称号を与えて重用していたが、彼はデリーに見切りをつけて1724年に彼の軍隊と共に旧所領であるデカン高原へ旅立つ。
旧所領を目指して南下中、当時のベラール県アウランガーバード近郊のシェーカー・ケーラで、ムバーリズ・カーン旗下のムガル帝国軍の攻撃を受けるが、ミール・カマルッディーンは、巧妙な戦術でムガル帝国軍を完膚なきまでに打ち破り敗走させる。彼は連戦連勝で進軍し、1725年1月16日にハイデラバードに入った。彼はハイデラバードを首都と定め、かつてはそのほとんどがデリーのスルターン達の所領であった地域を制圧して、広大な領土をその勢力下においた。彼は独立を宣言して、1948年にインドに併合されるまで続く、ニザーム藩王国の始祖となった。
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