ミール・ファーカンダ・アリ・カーン・ナイザー-ウッドゥ-ラ
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ミール・ファーカンダ・アリ・カーン・ナイザー-ウッドゥ-ラ (1794年4月25日-1857年5月17日)は、ニザーム藩王国の7代目当主。アサフ・ジャー4世。
ミール・アクバール・アリ・カーンの長男だった彼は、父藩王の死後1829年5月23日に藩王を継いだ。彼の父の御世に、既に何人かのイギリス軍士官が藩王国で公職を得ていたが、ミール・アクバール・アリ・カーンは、その公職剥奪を決意した。総督であるウィリアム・ベンティック公に士官の引き上げを要求し、不承不承ながらも総督に要求を履行させている。新藩王は、近代的な国庫歳入システムの導入、不要な中間業者の一掃、藩王国領土内を16行政区に区分、さらに各区に司法機関を設置するなど、藩王国の改革に着手した。一方で、ハイデラバードに置かれたイギリス駐屯地の費用負担が、藩王国財政に重くのしかかり、次第に財政悪化の道を歩ませてしまう。また、イギリスよりの宰相の暗躍により、藩王国へのイギリスの影響力がさらに強まってしまうなど、結果的に彼の御世は、藩王国内へのイギリス進出を決定的にした時期でもあった。
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